をファイヤーフォックスでして見たら、二年前以上の日記が出てきた。わたしは「あなたがいるから生きていける」のあなたはこの日記を好意的な気持ちで読んでくれているまだみぬあなたや、私の知っているあなたや、今後会うかもしれないまだ私のことを知らないあなたがいるから生きていける、と書いたような文章に出会った。
(ま、日記のところは今回初めて書きましたけど)
A というアディクトである私の愛する人とかかわったことも、私の生い立ちから来る私の問題点を「今」の問題として取り組ませてくれたし。
Aのことは今でも時々、「ああだったらな、」「こうだったらな」と思う。あの時はああだった、あの時はこうだった、と思い返しては、私の熱烈に思い返している事柄は2年も3年も前の話だったりして愕然とする。
一年もたたない間にああいうことを書いていたのか、と思うとやっぱり私たちの関係は、friend with benefitだったのだろうか、ともも思う。しかし私の執着の強さはなかなかそういうには無理がある。まあ、病気だからな。
私はAが色々と私の世話をしてくれたのは、私のこと愛しているからだと勝手に解釈してた。そうではなくて、Aは自分の仕事がなくなる不安とお金が尽きてしまう不安を何とか解消したくて、その不安を消すために何かしてたくて、私のお世話をしてたのだ。
何もしないでじっとふさぎ込んでいるより犬の世話をしたほうがいいよ、とかそういうのりだ。もう犬とか言うのは自己評価を下げるかやめた方がいいと思うのだけど、私が犬ではなくて、Aのなんと言うか、感覚がそうなのだ。
Aはもともと犬の訓練師だったから。
犬の訓練師は犬を愛しているよ。もしかしたら何よりも愛しているかもしれない。よくdog wisperみてたしね。
でも、けして対等な関係ではないから。
飼い主はいつも上でなければならないから。
そういう意味ではまさにそういう感じでした。
私はお世話されてうれしかったけどね。
うん。
これって繰り返し書いていることだね。
今日は面白い日だった。
10月なのに夏みたいに蒸し暑かったから、またビーチに行った。泳いだりもした。メインは寝た。鼾を一回かいてしまってびっくりして起きた。
夕方くらいになって、わりとすぐ横に人がタオルを広げてきた。全然他の場所があるのにだよ?
変だよね?
でもぱっと見たら、変な感じの人ではなかったので、ほっといたら、いつの間にか話してて、ブギボーやるから荷物見ててといわれた。でも私も他のとこ行くかもしれないけど、といったら、まあそれじゃそれでも言い、見たいな感じで。
そろそろにょういをもよおしたので、トイレに行こうと思ったらもうしまってた。(10月だから)そんで仕方なく、海にはいって、ついでに泳いで、(シャワーももうない)ごろごろして、ステップワークしてるうちに寒くなってきて、着替えようかなーと思ったらその人が戻ってきた。イスラエル人というその人は、話しているうちに、私と同じ大学で同じ専攻を学んでた事が発覚。しかも、時期が重なっている。彼は最後の一年だけいたので、私とクラスは重なってないけど、びっくりした。
何でこんな広いビーチでたまたま会うんだよ?
ちょっと感動したので(昔のフィルム科の友達にあったりすると毎回そう感じるのだけど→やっぱ映画作れって言われているんだ!!!とか)、電話番号を交換した。
いまは某大学でビデオエディティングを教えているらしい。
帰りにNYに付いたら、エスカレーターの横にたった男の人がずーーーーーーーーーーーーーーっとわたしのことを見ているので気持ちえ悪くなってみないようにしてた。でもちょっと勇気を持ってみてみたら、ミーティングであったことのある人だった。
なんか色々はなしてきたので、話をとりあえず聞いてた。
まあ、なんつうの?ミニミーティングみたいな感じ?
でもなんかちょっと辛そうというか、ネガティブな自分が受け入れられない、みたいなことをいってた。
ネガティブなのもポジティブなのも自分の一部だから、大切だよね、といったらちょっとほっとしたような顔をしてた。
ミーティングってすごいな、と思った。よく知らない人でもミーティングであったことのある人だから、安心して自分の感情を話す事ができちゃうようになっちゃうんだ。
私も自分の回復が進んできたので、びびってひいてしまったりせずに、そうかそうかと自分の時間の許す範囲で話を聞いて、またねとあっさり別れることができた。
すごいなあミーティングは。
(ま、日記のところは今回初めて書きましたけど)
A というアディクトである私の愛する人とかかわったことも、私の生い立ちから来る私の問題点を「今」の問題として取り組ませてくれたし。
Aのことは今でも時々、「ああだったらな、」「こうだったらな」と思う。あの時はああだった、あの時はこうだった、と思い返しては、私の熱烈に思い返している事柄は2年も3年も前の話だったりして愕然とする。
一年もたたない間にああいうことを書いていたのか、と思うとやっぱり私たちの関係は、friend with benefitだったのだろうか、ともも思う。しかし私の執着の強さはなかなかそういうには無理がある。まあ、病気だからな。
私はAが色々と私の世話をしてくれたのは、私のこと愛しているからだと勝手に解釈してた。そうではなくて、Aは自分の仕事がなくなる不安とお金が尽きてしまう不安を何とか解消したくて、その不安を消すために何かしてたくて、私のお世話をしてたのだ。
何もしないでじっとふさぎ込んでいるより犬の世話をしたほうがいいよ、とかそういうのりだ。もう犬とか言うのは自己評価を下げるかやめた方がいいと思うのだけど、私が犬ではなくて、Aのなんと言うか、感覚がそうなのだ。
Aはもともと犬の訓練師だったから。
犬の訓練師は犬を愛しているよ。もしかしたら何よりも愛しているかもしれない。よくdog wisperみてたしね。
でも、けして対等な関係ではないから。
飼い主はいつも上でなければならないから。
そういう意味ではまさにそういう感じでした。
私はお世話されてうれしかったけどね。
うん。
これって繰り返し書いていることだね。
今日は面白い日だった。
10月なのに夏みたいに蒸し暑かったから、またビーチに行った。泳いだりもした。メインは寝た。鼾を一回かいてしまってびっくりして起きた。
夕方くらいになって、わりとすぐ横に人がタオルを広げてきた。全然他の場所があるのにだよ?
変だよね?
でもぱっと見たら、変な感じの人ではなかったので、ほっといたら、いつの間にか話してて、ブギボーやるから荷物見ててといわれた。でも私も他のとこ行くかもしれないけど、といったら、まあそれじゃそれでも言い、見たいな感じで。
そろそろにょういをもよおしたので、トイレに行こうと思ったらもうしまってた。(10月だから)そんで仕方なく、海にはいって、ついでに泳いで、(シャワーももうない)ごろごろして、ステップワークしてるうちに寒くなってきて、着替えようかなーと思ったらその人が戻ってきた。イスラエル人というその人は、話しているうちに、私と同じ大学で同じ専攻を学んでた事が発覚。しかも、時期が重なっている。彼は最後の一年だけいたので、私とクラスは重なってないけど、びっくりした。
何でこんな広いビーチでたまたま会うんだよ?
ちょっと感動したので(昔のフィルム科の友達にあったりすると毎回そう感じるのだけど→やっぱ映画作れって言われているんだ!!!とか)、電話番号を交換した。
いまは某大学でビデオエディティングを教えているらしい。
帰りにNYに付いたら、エスカレーターの横にたった男の人がずーーーーーーーーーーーーーーっとわたしのことを見ているので気持ちえ悪くなってみないようにしてた。でもちょっと勇気を持ってみてみたら、ミーティングであったことのある人だった。
なんか色々はなしてきたので、話をとりあえず聞いてた。
まあ、なんつうの?ミニミーティングみたいな感じ?
でもなんかちょっと辛そうというか、ネガティブな自分が受け入れられない、みたいなことをいってた。
ネガティブなのもポジティブなのも自分の一部だから、大切だよね、といったらちょっとほっとしたような顔をしてた。
ミーティングってすごいな、と思った。よく知らない人でもミーティングであったことのある人だから、安心して自分の感情を話す事ができちゃうようになっちゃうんだ。
私も自分の回復が進んできたので、びびってひいてしまったりせずに、そうかそうかと自分の時間の許す範囲で話を聞いて、またねとあっさり別れることができた。
すごいなあミーティングは。
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