私がアラノンに来たのは、アルコール依存症の親を持ち、その親が暴力を振るう人だったから、私はとても傷つきながら育ってきた。
最近になってやっと、暴力とアルコール依存症は別のものだと知った。アルコールを飲んでいてカッとなる、一般的な暴力とは違い、私の父の場合は執拗に毎晩母をなぶり続けるものだったから。
今となって、父は悪い人ではなかったが、とても精神的に病んでいる病人だという事が理解できるようになった。
そして、その病人と足並みをそろえるべく暮らしていた母も、私の姉も私も含め、みな病んで行ったことがわかる。
この気づきがもっと早くおとづれていたら、おそらく私は生きていけなかったろうと思う。希望を持つ前に、真実に気づくと、それは絶望となり、生きていく気力をそいでしまう。
否定denialは、病んだ環境に生きている人間にとってはなくてはならないプロテクターなのだから。
それを無視して、周りの人間が「真実」を指摘することは、本人を傷つけることにしかならない。
私は親の病気のせいでセラピーやミーティングに通うようになったけど、その影響でAを親と認識して彼にいかに好かれるか、いかに愛されるかを求めるようになっていった。Aは私の両親のよりよいバージョンに思えたから。
それでもアクティブなアルコホリズムと一緒に生活することは、誰にとっても辛く、私は自分も飲むという方法で何とか乗り越えてきたけれども、せっかくやめたタバコもまた吸うようになったり、一人でも飲むようになったり、家族とはなれることで、少しづつだけど確実に築きあげてきた自分の健康的な生活も健康的な指向もぽろぽろと崩れかけてきてた。
それが辛くてさらにミーティングに通うという方法としてたけど、他にその辛い状況を乗り越える方法を知らなかったからで、それにミーティングに通えばアクティブなアルコホリックであるAとうまくやれると思ってた。
アラノンの宣伝文句は、
「アルコホリックが酒をやめられる」
だったりする。
または
「アルコホリックが飲んでいようと飲んでいまいと、幸せをつかむことが出来る」
というものだったりもする。この二つにはひそかな矛盾が含まれている。
そして後者のほうがアラノンの本来の姿が描かれている。
アルコホリックが飲んでいようと飲んでいまいと、自分自身が幸せになれる、というのは、アルコホリックからの脱執着を描いているが、その執着を脱するかたちは、その人それぞれだ。
私は、Aと一緒にいながら、健康的な生活を歩めるもんだと信じていた。それを望んでいた。でもそれは無理だった。だから、いまはAが飲んでいようといまいと、私は私の生活を送る。時に幸せを感じ、時に痛みや悲しみを感じる。
Aとは、無関係に。
そこに私の恨みが残る。
うそつき。
とプログラムに対して思う。
一緒にいても脱執着ができるっていってたじゃないか、と。なぜほかの人にできて自分にはできないんだ?と自分を責め続けても来た。
でも、プログラムは
「アルコホリックが飲んでいようと飲んでいまいと、幸せをつかむことが出来る」
といっているのであって、
「アルコホリックが飲んでいようといまいと、一緒に幸せをつかむ」といってはいない。
そして、結局は他人でなく自分にフォーカスをあてて、他人でなく自分自身を受け入れるように、他人でなく自分をまず愛し、他人でなく自分をまずケアするように教える。
なぜならそこで初めて、アルコホリックが自分の問題に直面する可能性が生まれるからである。
また、アルコホリックが自分の問題に直面するかどうかは、アルコホリック自身の問題であり、私たちの問題ではない。
アルコホリックを含む人、もの、出来事に対し私たちは無力であり、私たちの人生はどうしようもならなくなった。
がステップ1でこのステップを何度も踏むことによって、自分の回復への手がかりがつかめる。
出来ないことを出来ないと認めない限り、できる事がなんなのかはわからないからである。
最近になってやっと、暴力とアルコール依存症は別のものだと知った。アルコールを飲んでいてカッとなる、一般的な暴力とは違い、私の父の場合は執拗に毎晩母をなぶり続けるものだったから。
今となって、父は悪い人ではなかったが、とても精神的に病んでいる病人だという事が理解できるようになった。
そして、その病人と足並みをそろえるべく暮らしていた母も、私の姉も私も含め、みな病んで行ったことがわかる。
この気づきがもっと早くおとづれていたら、おそらく私は生きていけなかったろうと思う。希望を持つ前に、真実に気づくと、それは絶望となり、生きていく気力をそいでしまう。
否定denialは、病んだ環境に生きている人間にとってはなくてはならないプロテクターなのだから。
それを無視して、周りの人間が「真実」を指摘することは、本人を傷つけることにしかならない。
私は親の病気のせいでセラピーやミーティングに通うようになったけど、その影響でAを親と認識して彼にいかに好かれるか、いかに愛されるかを求めるようになっていった。Aは私の両親のよりよいバージョンに思えたから。
それでもアクティブなアルコホリズムと一緒に生活することは、誰にとっても辛く、私は自分も飲むという方法で何とか乗り越えてきたけれども、せっかくやめたタバコもまた吸うようになったり、一人でも飲むようになったり、家族とはなれることで、少しづつだけど確実に築きあげてきた自分の健康的な生活も健康的な指向もぽろぽろと崩れかけてきてた。
それが辛くてさらにミーティングに通うという方法としてたけど、他にその辛い状況を乗り越える方法を知らなかったからで、それにミーティングに通えばアクティブなアルコホリックであるAとうまくやれると思ってた。
アラノンの宣伝文句は、
「アルコホリックが酒をやめられる」
だったりする。
または
「アルコホリックが飲んでいようと飲んでいまいと、幸せをつかむことが出来る」
というものだったりもする。この二つにはひそかな矛盾が含まれている。
そして後者のほうがアラノンの本来の姿が描かれている。
アルコホリックが飲んでいようと飲んでいまいと、自分自身が幸せになれる、というのは、アルコホリックからの脱執着を描いているが、その執着を脱するかたちは、その人それぞれだ。
私は、Aと一緒にいながら、健康的な生活を歩めるもんだと信じていた。それを望んでいた。でもそれは無理だった。だから、いまはAが飲んでいようといまいと、私は私の生活を送る。時に幸せを感じ、時に痛みや悲しみを感じる。
Aとは、無関係に。
そこに私の恨みが残る。
うそつき。
とプログラムに対して思う。
一緒にいても脱執着ができるっていってたじゃないか、と。なぜほかの人にできて自分にはできないんだ?と自分を責め続けても来た。
でも、プログラムは
「アルコホリックが飲んでいようと飲んでいまいと、幸せをつかむことが出来る」
といっているのであって、
「アルコホリックが飲んでいようといまいと、一緒に幸せをつかむ」といってはいない。
そして、結局は他人でなく自分にフォーカスをあてて、他人でなく自分自身を受け入れるように、他人でなく自分をまず愛し、他人でなく自分をまずケアするように教える。
なぜならそこで初めて、アルコホリックが自分の問題に直面する可能性が生まれるからである。
また、アルコホリックが自分の問題に直面するかどうかは、アルコホリック自身の問題であり、私たちの問題ではない。
アルコホリックを含む人、もの、出来事に対し私たちは無力であり、私たちの人生はどうしようもならなくなった。
がステップ1でこのステップを何度も踏むことによって、自分の回復への手がかりがつかめる。
出来ないことを出来ないと認めない限り、できる事がなんなのかはわからないからである。
コメント
●否定denialは、病んだ環境に生きている人間にとってはなくてはならないプロテクター。
なんですね。うーん。なるほど。
●周りの人間が「真実」を指摘することは、本人を傷つけることにしかならない。
うーん、これも辛いけどそうなんでしょう。
でもkaichuさんは、
●出来ないことを出来ないと認めない限り、できる事がなんなのかはわからない。
というところまで進んだわけだ。すごいな。
●他人でなく自分自身を受け入れるように、他人でなく自分をまず愛し、他人でなく自分をまずケアするように。
っていうのもよくわかる。僕はそれをやるだけで、いまのところ手一杯です。
いやそれどころか、いままで飲まなかった人なのに、去年、彼女と別れてからこっち、毎日のように飲んでます。ちょっとやばいです。注意しよう。
役立つ日記をありがとう。
やっとステップ1なんですけどね。もうアラノンに通ってもうすぐ4年たちましたが・・・。時間がかかってもいいんだということで。
昨日、この日記を書く前にスポンサーを見つけることができました。