仕事暇だから

2007年8月2日
すぐ過去をめぐる旅に(主にダイアリの過去日記を読む)でてしまうのだけど、今日は同居したばっかのころの話とかを読んでて、ががっと悲しみが。

Aはいろいろ気を使ってくれたり、何かと私がいっしょにいることへの喜びの気持ちを表してくれたのだけど、私それを足蹴にしたりないがしろにしたりしてた。

遠くの人からの思いやりややさしさは素直に受け取れるけど近くの人のそれは怖い。

育っている環境で、与えられるものはやさしいものもあったけどものすごい恐ろしいものもあった。それを受け取ることによって、私はものすごく傷ついたから、いい物を感謝して受け取る、なんてのんびりしていると、後で考えられないような恐ろしいことがおきたり、傷つくことを言われたりしてきた。

私はそのために、身近な人からのいいものをもらうと怖くなってしまうのだ。

いつまで続くのか、
もっとほしいといっていいのか
ありがとうといったらそのお返しに何かを要求されるのではないか、
私は一体どうすればいいのだろうか

そのようなことがぐるぐると頭の中を渦巻いて、動けなくなってしまう。
やさしさや思いやりはみなかったことにして、やり過ごしてしまいたい。

そんな行動パターンができあがった。

Aは、たくさんやさしくしてくれた。
そんなAを好きになることはとても怖かった。
Aの行動の動機の裏には、私への愛情も確かに含まれていたけれど、Aのデスパレートな誰かに好かれたい、という気持ちがジューシーに含まれてたことも気づいてた。

私に好かれたい、ではなくて、だれか。
それはヒストリカルなだれか。Aのお母さんだったり、家族だったり。なんだかよくわからないけど。

わたしは、Aが好きだった。
何でもいいけど好きだった。
ずっと一緒にいてほしかった。
ずっとずっと一緒にいてほしかった。
何もかもあきらめることができた。
Aが一緒にいてくれるんなら。

そんな気持ちは私の私自身の人生を生きることを阻んでしまった。

私は、自分の人生なんてなくても、Aと一緒にいたかった。

コメント