おや、消えた

2007年6月1日
んーと、書こうか書くまいかどうしようかと思っているのだけど、この日記は実は自分のトラックダウンに役立っているので書いてしまうことにした。

昨日メールを整理してたら、Aから二年間にかけてやり取りしているメールをすべて読んでしまった。

おどろくことに、Aは一貫して君をあいしている、大事に思っている、この関係を壊したくない、といい続けてたことだ。

驚いたことに、と書いたのは、そのメールを読んでた当時は「とか何とか言っちゃって、私にさっさと出てってもらいたいわけなんでしょう?大丈夫、ちゃんと出てってあげるから、そんなに心配しなさんな。」と答えて(かんがえて)いたのである。

うわーすごいな、と思った。
すごい、どんな言葉もブローックである。

とはいえ、私は愛されている、といわれながらも、同居していることについて相手が嫌がっているのが、(おそらく実際よりもおおげさに)わかっていたから、そんな言葉に耳を貸している暇はなかった。

そんなことしてたら引越しできないじゃん。

そうでなくても4ヶ月もかけて物件を探し続けてたのに。

私にとって、とてもつらいあの時期であったことは間違いない。
ほんとかわいそう。わたし・・・。私もかわいそうだけど、どんなにがんばっても私の耳に届かない言葉を投げてきたAもかわいそう。

でも、私にとってはほんとそうでもしないと自分が壊れてしまいそうだったから。何せ、永住権を得て仕事をえたのはいいが、「死にたい・・」とまで思ってしまったくらいだから。

死にたいと思ったのは、Aが嫌がっているのに踏み切ってしまったこと。Aが「もっとほかのやり方がきっとあったのに」というたびに、いったいほかにどんなやり方があったのだろう、と自分を責めたから。

自分が悪いと思い続けてもうこれ以上責めきれないところに、Aが本当に同居がいやなんだなあ、と感じると同時に、はなれていればいたで、「早く会いたい」だの、「うちに帰って君と一緒にいたい」だのメールを送ってきたこと。

それを見ながら、彼の帰国の翌日が引越しの当日ということもあって、「うんうん、帰ってきたらやっと一人になれるね、よかったね」
と思い続けてたこと。

そうおもわなければ、やっていけなかったってこと。

誰も離れ離れになりたかったわけではないのに、離れないわけには行かなかったこと。

離れてからもAは一貫して君が大事だ、関係を壊したくない、君を失いたくないといい続けてたこと。

私が、カップルセラピーをやめる決意をするまで。

それ以降はきっぱりと友達として君をサポートする、お互いはお互いが求めていた人ではなかったのかもしれない、今の時点では二人の関係は終わっている、ととても、一貫している。

Aのそういうところが私は大好きなところだ。
自分の意思決定がはっきりしている。決まるまではなかなか言わないけど。言ったらそのことを実行する。

マスンテでのヒーリングセッションで、Aのこと出てきて、私の魂がAのことを求めているんだなあ、わたしはAのことが大好きなんだなあ、ということがわかったけど、だからといって前のような関係に戻れるというわけではないんだ、と思った。

それがとても悲しい。

なくことは、私にとって薬みたいなことだから、昨日もたくさんないて、今日もきっと夜たくさんなこう。

副作用はとても疲れること、だけど。

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