セラピーで、話して、実はAは私のことをわかっているふりをしてわかってなかったことや、話し聞いている振りして聞いてなかったことや、そのせいで私が、寂しいなーとかわいこぶってられないくらい、ものすごいアテンションを求める餓鬼のようになってしまったことなどを話した。

かわいいさみしんぼさんが、餓鬼になる過程には、私自身が自分のかまってもらいたい、わかってもらいたいというニーズがあるのに無視してしまったからだということがわかった。

ボートでの日々や、レストランでのご飯の日々や、バケーションの日々や、高いメゾネットで暮らす日々で、Aの「こんなにしてあげているじゃないの?」という言葉に、私は自分のわかってもらえてない気持ちを「こんなにしてもらっちゃってんじゃん」という言葉の下にしまいこんでいた。

だからかわいいガキが、こわい餓鬼 (kawai とkowai は一字違いですね・・)になっていた。

しかもそういうところをごまかすのはAはうまく、私もごまかされるのは実家族で慣れているので、ごまかされていた。 

aはやっぱり私にとっては実は危険人物だったのだ・・・。実家での行動パターンに戻ってしまうのが、今となってはあからさまだったけど、あのころはわかんなかった。

もちろん、良い思いもたくさんさせてもらってたから、すべてが悪かったんじゃない。いろんなことをまなばさせてもらった。主に私のことを・・・。

私は
海が好きだし
ボートも泳ぐのも好き
居心地のいい思いをするのは大好きだし、
大切に扱ってもらうことも大好きだ
くっついてくれるのも、甘やかしてもらえるのはもちろん大好きだし、
自分の思いを聞いてくれることは、経済的物質的に安定していることと同じくらい大切。

そして、やっぱり不安に弱く、
お酒飲んでたりタバコすってたりするムードがあまり好きじゃない。
というか、今は成長過程の乳幼児みたいな感じだから、それを受け入れてくれる環境を求めている。

大切なことは、Aと一緒にいることで、自分の家族で覚えた結婚は監獄みたいなことだ、という考え方は改善された。

誰かに頼れるということは大切なことだし、誰かの話しを聞いて支えてあげれるということもほんとは素敵なことだ。

でも私は成長していないので、相手の話しを聞ける限界がある。それを超えるとものすごい反発力が発揮される。

そのことは、自分がそのことを無視してきたことと、無視しなければ大人になれなかったことと、いまだにその反発する「もうこれ以上はあなたの話し・ニーズはうけいれられない!」ということによって自分も他人も傷つけてきたことを思うととても悲しいことだと思う。

この部分はあまりにも自分が無視してきたため自分でも扱いがわからない。

これもとても悲しいことだと思う。

でもこの関係と関係へのオブセッションを手放すことで一歩、健康な関係へ進めていると思う。

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