ねむいずら
2007年1月25日ここのところのアップダウンはどうもPMSだったらしく、(最近はよかんできるようになった!えらい!)すし屋の夜には股から血が。
そしてここのところの豆中心食だったせいか、整理痛もなく。以外に穏やかなお通じ。やっぱあれだね、肉食は体に負担がかかる。
豆食(ここのところは緑豆入りのスープをずっと食べてた)はいい!おなかもいっぱいになるし、うん子も出るし、まろやかでさっぱりしすぎでもないし。
砂糖の摂取は相変わらずおおいけど。
昨日whole food マーケットに行って、プリンとモツアレラチーズとかを買って、帰った。帰宅は10時くらいになってしまい疲れ果てて、豆スープの残りを温め(これは10日くらいもった)ている間に、プリン(flan)と書いてあるけど、を食べたらあまりの甘さに目が覚めた。
やっぱりアメリカのプリンには情緒というか、風味や味がない。甘い!!!!!目が飛び出るほど。インドのお菓子かと思ったよ。
母からの留守電が入ってて、かけようかなーと思ったけど、メッセージが入ってたからといって疲れている自分に追い討ちをかけるようなことをしてはならんと、またにした。
思うに、自分のニーズに自分で答えられるスキルや、大人同士のサポートシステムを持ってないで子供を持つと、そのニーズの埋め合わせは子供に課されるんだなあ、とつくづく思う。
きっかけはお隣のきっと私と大して年も変わらないであろう、ロシアンジューイッシュの家族のお母さんの叫び声を毎日のように聞いてて思ったのであるが。
叫び声、といっても、彼女以外のはきこえなく、怒声なので、私にとってはあまり響かない。私の生い立ちの関係で、女性が被害者になっているといきなり「なんとかしなくては!」と自動的に反応してしまうのでつらいのだが、女性が怒っているとあまり何も感じない。これもどうなのだろうか。
怒声も彼女の一種の助けを求める叫び声なんだと思うけど、彼女によく似た16歳の、しかもお母さんよりずっと老けたような様相の娘を見ていると、娘のほうが気の毒で、お母さんにも事情があるにせよ、大人なんだから年頃の子供にあんなに家事を押し付けて(いるように見える)いるのはどうかよなあ・・・と思ってしまう。
まあ外から見ただけじゃよくわかんないし、母より、娘のほうと話すことが多かったからきっと同情心が芽生えるんだえろうけど、何が不満か知らないけど大人なんだから自分の不満は自分で解消するしかねえんじゃねえの?と思ってしまう。
私の母もやっぱりものすごく未熟だったから、一番上の姉をまるで自分の分身、と言うよりも忠実な僕として使いまわしてた。母のことも不憫だけど、やっぱり母から愛されるために二歳のころからすぐしたの妹(私のもう一人の姉)のオムツを替えてたと賞賛され、3歳のとき、しにそうになるくらいひどい腹膜炎のエピソードも「お姉ちゃんはぜんぜん痛いって言わないからわかんなかった」という、母独自の被害者意識に基づいて、3歳の姉のせいにされてた。
3歳の子供がそんなにいたい思いをしているのに、いえなかった背景なんて考えることもできなかったと言うことはわかるけど。
Aの一番上のお姉さんも、ほんとに小さいころからまるでおっかさんのような様相をたたえている。彼女の母のほうがいつまでたっても子供のような”かわいさ”で、いつまでたってもやんちゃでかわいい。
それを保持するためにはいつもそばにいて自分を「かわいがってくれる」子供が必要だったわけで、それになったのが長女だった。
思うに、その長女自身が母を置いて自分の人生を生きる決心をしない限り、連鎖は続くのであって、愛されたいという人間の基本的な思いからくるから余計、悲しさを感じる。
そしてここのところの豆中心食だったせいか、整理痛もなく。以外に穏やかなお通じ。やっぱあれだね、肉食は体に負担がかかる。
豆食(ここのところは緑豆入りのスープをずっと食べてた)はいい!おなかもいっぱいになるし、うん子も出るし、まろやかでさっぱりしすぎでもないし。
砂糖の摂取は相変わらずおおいけど。
昨日whole food マーケットに行って、プリンとモツアレラチーズとかを買って、帰った。帰宅は10時くらいになってしまい疲れ果てて、豆スープの残りを温め(これは10日くらいもった)ている間に、プリン(flan)と書いてあるけど、を食べたらあまりの甘さに目が覚めた。
やっぱりアメリカのプリンには情緒というか、風味や味がない。甘い!!!!!目が飛び出るほど。インドのお菓子かと思ったよ。
母からの留守電が入ってて、かけようかなーと思ったけど、メッセージが入ってたからといって疲れている自分に追い討ちをかけるようなことをしてはならんと、またにした。
思うに、自分のニーズに自分で答えられるスキルや、大人同士のサポートシステムを持ってないで子供を持つと、そのニーズの埋め合わせは子供に課されるんだなあ、とつくづく思う。
きっかけはお隣のきっと私と大して年も変わらないであろう、ロシアンジューイッシュの家族のお母さんの叫び声を毎日のように聞いてて思ったのであるが。
叫び声、といっても、彼女以外のはきこえなく、怒声なので、私にとってはあまり響かない。私の生い立ちの関係で、女性が被害者になっているといきなり「なんとかしなくては!」と自動的に反応してしまうのでつらいのだが、女性が怒っているとあまり何も感じない。これもどうなのだろうか。
怒声も彼女の一種の助けを求める叫び声なんだと思うけど、彼女によく似た16歳の、しかもお母さんよりずっと老けたような様相の娘を見ていると、娘のほうが気の毒で、お母さんにも事情があるにせよ、大人なんだから年頃の子供にあんなに家事を押し付けて(いるように見える)いるのはどうかよなあ・・・と思ってしまう。
まあ外から見ただけじゃよくわかんないし、母より、娘のほうと話すことが多かったからきっと同情心が芽生えるんだえろうけど、何が不満か知らないけど大人なんだから自分の不満は自分で解消するしかねえんじゃねえの?と思ってしまう。
私の母もやっぱりものすごく未熟だったから、一番上の姉をまるで自分の分身、と言うよりも忠実な僕として使いまわしてた。母のことも不憫だけど、やっぱり母から愛されるために二歳のころからすぐしたの妹(私のもう一人の姉)のオムツを替えてたと賞賛され、3歳のとき、しにそうになるくらいひどい腹膜炎のエピソードも「お姉ちゃんはぜんぜん痛いって言わないからわかんなかった」という、母独自の被害者意識に基づいて、3歳の姉のせいにされてた。
3歳の子供がそんなにいたい思いをしているのに、いえなかった背景なんて考えることもできなかったと言うことはわかるけど。
Aの一番上のお姉さんも、ほんとに小さいころからまるでおっかさんのような様相をたたえている。彼女の母のほうがいつまでたっても子供のような”かわいさ”で、いつまでたってもやんちゃでかわいい。
それを保持するためにはいつもそばにいて自分を「かわいがってくれる」子供が必要だったわけで、それになったのが長女だった。
思うに、その長女自身が母を置いて自分の人生を生きる決心をしない限り、連鎖は続くのであって、愛されたいという人間の基本的な思いからくるから余計、悲しさを感じる。
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