おもいだしたこと

2006年12月16日
私の最古の思い出は、三歳になる前に引っ越した公団のあぱーとで、夜に二歳の私が一人でつめに赤チンを塗っているところです。二歳の子供がどうして、家の中にたった一人きりだったのか、両親や姉たちはどこに行ってたのか、まったくわからないけれど、昔は不思議に思っていたその思い出が、実は私の子供時代を象徴するものだったと言うことに最近気づきました。

私の母は私の生まれる前後父に捨てられて、おそらくとっても自分自身をネグレクトしてたんだと思います。だから生まれた私がおそらく疎ましかった。
私は幼いころからものすごく我が強く自己主張が強く、ほしいものがあったらひっくり返って手に入れるまで泣き止まない、叫ぶ暴れるという行動に出ていたそうですが、それはきっとそこまでしないと手に入らないアテンションの中で育ったからだということが最近になってやっとわかりました。

私はそんな行動を生まれつきもっていたのではない。そうしないと生きてこれなかったから。多分。小さな子供たちであった姉たちのニーズを満たすことで精一杯だった母には、乳児の私のニーズはきっと最初のころ見えづらかったに違いない。
そのために誰よりも大きな声で泣くこと。それを学んだ小さな赤ん坊が私だった。

それと同時に黙ることも学ばなくてはいけなかった。
TPOにあわせて行動する赤ん坊でなければケアされることはなかったから。捨てられないために、生き延びるために私は何でも学んできた。

中学生のとき、友達が好きだった先輩のことを好きになったとき(ていうか、その人のことよく知らなかったので、私はただアプルーバルがほしかっただけなんだけど)、どうやったら私がどんなにすごいかどうやったらわかってもらえるんだろう、と思ってた。

私は誰にでもなれます。

そう思ってた。

そして私は本当に色んな人になりながらサバイブしてきた。すべては今ここでこの瞬間に必要とされている役割を学び、それになること。

37年のキャリアがありますから、難しいことなんてそんなにない。他国語だって話せます。その言葉で「自分」を語る芸当さえやってきました。3番目の言葉もその気になれば学べます。

でもいつまでたっても自分以外の誰かさんに成りすますことばかり学んで、自分はどういう人なのか知らないまま大きくなってしまった。

残念ながら私の失った37年はもう戻らない。

私のニーズを満たすこと。それにフォーカスを当てて生きていくべきだと思う。

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