まあいろいろと

2006年12月5日
ありますが、昨日の夜アラノンの本を読んでたら、いい一節に当たった。「健康的でない人との関係を続けると言うことは、あくまで関係を続けると言うことだけであって、不健康な人との関係から健康的な関係を得ようとすること自体、間違っている。」というのであった。

先週のミーティング後のあつまりで、別居をした後の関係についての難しさを「壊れてこんがらがった何本も糸のたれているブラインド」にたとえて語っている人がいた。「どの糸をどう引けばこのブラインドが開くか、一生懸命になっているようだ」と彼女は言った。私は「そのブラインドを取り除けばいいんじゃない?」と言ったら彼女は少し怒ったように「私には夫との間に子供もいるし、そんなに簡単に取り除けない」と言ってた。

でも健康的に生きることを回復に向けて働きかけているうちに、不健康な人との関係を手放さざるを得なくなっちゃったんだよね、私たちは。だから最終的に、相手が不健康なままでいることを選ぶのならば、その人とはなれることになってしまうんだよね。

そのことを手放すのはとてもつらい。気持ちがさめたわけではないけれど、うまくいかなくなった関係が終わるかもしれないと言う可能性を考えることだけでもある一部の人にとってはとても恐ろしいことだ。だって生き方を変えなくてはいけない。生活を支える仕事もしなくてはいけないし、そんなのずっとやっている人にすら簡単でないのに、やったことのない人には恐ろしいことだと思う。でも、やっている人は現実にいる。

私の祖母は働いたことはおろか、家事をしたことすらなく(女中とたちがいたから)、終戦後軍の所有するうちにすんでいたので、家までなくして魚の行商をしたそうだ。そのうち彼女は自分が育っていく過程でアメリカ人の家庭教師から習ったピアノを教えることで子供8人を抱えて生活していく。戦争から帰った祖父は祖母を殴り、仕事も転々とし、おそろしい状況だったそうだ。

でも私はいつも不思議だった。なぜ祖母は祖父と離婚をしなかったのか。いまだに不思議だけど、そのくらい、離婚をすると言うことが恐ろしかったのかもしれない。殴られ、ののしられ、お互いが殺す殺せ、と食卓の両端から罵り合ってた祖父母を覚えているが、それでも祖母は祖父を去らなかった。祖母が実質的に生活費を稼いでいてもだ。

それだけ、心理的な枷というのは重いんだろうな。

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