code46
2006年8月28日土曜日にぼんやりTVを見てたらコード46という映画にぶち当たった。ティムロビンスが出ていて、舞台は未来で、みんなパペルと呼ばれる許可書がないと国の間を行き来できない。法を犯すと無法地帯に放り出され、合法地帯にはもう入れない。あまり現代と
替わりはないんだけど、記憶を消されたり、言葉が部分的にとってつけたように多国籍語になってておかしい。
でも見てたら、見覚えのある場所が、はっきりとではないんだけど、部分的に空気がここはドバイだ・・・と思う場所がでてきて、自分でもびっくりした。もしかしたらモロッコかメキシコとかの砂漠地帯なんじゃないの?と思ったけど、あの運河を渡る船に景色は間違いなくドバイで、話が、よその国の妻子ある男を好きになってセックスしてお互い忘れられなくて、彼女に子どもがで来て、DNAを調べたら実は彼の母親とDNAがまったく一緒だったという、なんか訳のわかんない設定で、まあとにかく二人は運命の二人なのだ、ということなのだった。
終わりは言わないけど、悲しい結末で、最後に彼女は砂漠にいるんだけど、スークのところとか、砂漠とか、たった4日間の出来事なのに私はものすごく鮮明に覚えてて、そんな自分の記憶に参った。
相手は私がNYに来る前に3ヶ月付き合い、その後入管につかまって国外追放されてインドに帰り、2-3年後に高校生のときの元ガールフレンドと結婚したインド彼で、その彼に会いに、文無しの留学生の癖に大金をかけて、彼が一人で働きに出てたドバイに会いに行った4日間だったのだけど。
彼のこと人に話すとほんとにひどい男だといわれるので、やっぱりそうだったのかな、でもあの人はやっぱり私にベタぼれだったよな、いやあれは彼のお得意な操作だったのかな、と今でも考えることがあるのだけど、やっと最近になって分かった。
私と彼の関係は、彼は私のことが好きで、彼は私が一番求めてたものを与えてくれていたんだな、ということがわかった。それは、アテンション、だった。
私のこと見て、私のことを考え、私のことを理解してくれた人は彼だったから。私の周りにはそういう人はいなくて、もちろん私の家族の中には存在しなくて、私はものすごく理解されることとアテンションに飢えていた子どもだった。だけど、適切ではないアテンションは与えられていたので、アテンションをもらうということ自体、とても恐怖感を持っていた。アテンションを得ることは、後に姉や母からねたみや嫌がらせや虐められることが待っていたから。
だから子供のころ一生けんめい「私の好きな人が私のことを好きになってくれますように」と祈っていた。
そういうことの理由もあまり今までよく考えていたことはなかった。エジャズは私を見て、私のことを理解しようとしてくれてそして理解してくれていた。そして私のことをとても可愛がってくれていた。
エジャズと別れてしまったことは、私が後悔していることのひとつでもあるのだけど、きっと彼は今はインドのどっかで子どもが何人かいる普通のインド人のおじさんになっているんだと思う。だからきっと今あっても私はなにか感銘を受けることはない気もする。
ただ誰かをとっても好きな気持ち、というのはあのときに勝ることはなく、どきどきする気持ちも、あれに勝ることはない。でもその気持ちに対して、とても批判的で罪悪感を持ってたのだけど、彼が与えてくれたのは今の私にも希望を与えてくれるな、という部分で、いいものだと安心してこいしがっていいものなんだということがわかってよかった。
それだけでとても安心した。
替わりはないんだけど、記憶を消されたり、言葉が部分的にとってつけたように多国籍語になってておかしい。
でも見てたら、見覚えのある場所が、はっきりとではないんだけど、部分的に空気がここはドバイだ・・・と思う場所がでてきて、自分でもびっくりした。もしかしたらモロッコかメキシコとかの砂漠地帯なんじゃないの?と思ったけど、あの運河を渡る船に景色は間違いなくドバイで、話が、よその国の妻子ある男を好きになってセックスしてお互い忘れられなくて、彼女に子どもがで来て、DNAを調べたら実は彼の母親とDNAがまったく一緒だったという、なんか訳のわかんない設定で、まあとにかく二人は運命の二人なのだ、ということなのだった。
終わりは言わないけど、悲しい結末で、最後に彼女は砂漠にいるんだけど、スークのところとか、砂漠とか、たった4日間の出来事なのに私はものすごく鮮明に覚えてて、そんな自分の記憶に参った。
相手は私がNYに来る前に3ヶ月付き合い、その後入管につかまって国外追放されてインドに帰り、2-3年後に高校生のときの元ガールフレンドと結婚したインド彼で、その彼に会いに、文無しの留学生の癖に大金をかけて、彼が一人で働きに出てたドバイに会いに行った4日間だったのだけど。
彼のこと人に話すとほんとにひどい男だといわれるので、やっぱりそうだったのかな、でもあの人はやっぱり私にベタぼれだったよな、いやあれは彼のお得意な操作だったのかな、と今でも考えることがあるのだけど、やっと最近になって分かった。
私と彼の関係は、彼は私のことが好きで、彼は私が一番求めてたものを与えてくれていたんだな、ということがわかった。それは、アテンション、だった。
私のこと見て、私のことを考え、私のことを理解してくれた人は彼だったから。私の周りにはそういう人はいなくて、もちろん私の家族の中には存在しなくて、私はものすごく理解されることとアテンションに飢えていた子どもだった。だけど、適切ではないアテンションは与えられていたので、アテンションをもらうということ自体、とても恐怖感を持っていた。アテンションを得ることは、後に姉や母からねたみや嫌がらせや虐められることが待っていたから。
だから子供のころ一生けんめい「私の好きな人が私のことを好きになってくれますように」と祈っていた。
そういうことの理由もあまり今までよく考えていたことはなかった。エジャズは私を見て、私のことを理解しようとしてくれてそして理解してくれていた。そして私のことをとても可愛がってくれていた。
エジャズと別れてしまったことは、私が後悔していることのひとつでもあるのだけど、きっと彼は今はインドのどっかで子どもが何人かいる普通のインド人のおじさんになっているんだと思う。だからきっと今あっても私はなにか感銘を受けることはない気もする。
ただ誰かをとっても好きな気持ち、というのはあのときに勝ることはなく、どきどきする気持ちも、あれに勝ることはない。でもその気持ちに対して、とても批判的で罪悪感を持ってたのだけど、彼が与えてくれたのは今の私にも希望を与えてくれるな、という部分で、いいものだと安心してこいしがっていいものなんだということがわかってよかった。
それだけでとても安心した。
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