ひまだからさ

2006年8月11日
日記書くことにしたよ。

実は先月になるけど、女性に対する暴力を阻止するフェスティバル、V-Dayフェスティバルに参加した。
そのときsafe horizonという団体が開催する、男性向けの女性への暴力を阻止するためのセミナーっつうのに参加したんだ。ブルックリンまでイって。
なかなか面白かった。

いろいろあるんだけど、基本的には女性に対する暴力は男性優位という考え方に基づく。それはどんなものかって言うと、たとえば、ショッピングセンターで男女のカップルが口論をしている。男性側が女性を殴った。

さてあなたはどうしますか?

というのだった。質問は男性にされて、その場にいる男性はそのときの自分の気持ちとして答える。

ほとんどの男性が様子を見るが何も言わない、だった。

二番目に、あなたがカップルの方割れで、彼女と口論しています。もしも、よその通行人の男性が、あなたを一切無視して彼女のほうに「大丈夫?何か問題があるの?」と話しかけてきたらなんて思う?

ほとんどの男性が、自分を差し置いて彼女に話しかけるなんて失礼だ、人のビジネスに首を突っ込むな、と憤慨する、と答えました。

3番目に、じゃあ女の人が一人でいる。通りがかりのホームレスの男性が、彼女に突然殴りかかっていった。あなたはたすける?たすけない?
何人かの男性はそれでも助けない、と答えたけど(多分日本の男性はほぼそうこたえると思う)、それ以外の人は、助ける、と答えた。

この違いは何だろう?

なぜ誰かの彼女は助けずに、知らない人につかみかかれた女性は助けないのか?

それは、「男は他の男を尊重する」からであり、カップルの彼女は「彼女は他の男の所有物」であるからして、彼女に直接話しかけることは「彼女を所有している男を侮辱する」ことだから。

それは男尊女卑ではないと自負している男性でさえ常識として認識されている。「女性は一緒にいる男性の持ち物である。」

他のケース:
自分の近所の友達が彼の奥さん/彼女に暴力を振るっているのを知っている。でも何も言わず、いつもどおりに付き合っている。別に自分が殴っているわけでも、自分が自分の妻/恋人に暴力を振るっているわけではない。友達のことを尊重しているから、彼の私生活には口出ししたくない。
........でもこの態度=女性への暴力の黙認しいては推奨になる。
もしもその友達に対して口を利かない、無視をする、などのネガティブな反応をする。もっと進めて何らかの形でのコメントをする。これが結果的には女性への暴力を反対する行動になる。

たとえば真冬の屋外での試合に、女性がチアリーダーのカッコをして応援をしなくてはいけない。なぜか?みんなはものすごい厚着をしているし、プレーヤーだって長袖長ズボンを着ている。なぜチアリーダーだけが、足を丸出しにして袖なしはやはんそでを着て応援をしているのか?彼女たちがそれをしたい、というから、というが、肌を露出して季節や気温に反した服装をしないと、男の、又は女同士の尊敬を得られないとしたら。それは女性が人としてあつかわれていないことを意味する。
それを推奨することで、女性に対する社会の中での位置づけを、女性は劣った二級市民だ、ということを固定することになる。

テレビに出てくる、ビルボードに現れる、広告に出ている女性は決まって肌を露出している。つまり、女性は人ではなく、ボディパーツとして扱われる。ボディパーツは胸のサイズ、ウェストのサイズ、ヒップのサイズ、年齢、身長、体重などの「数字」で判断される。

人格などはなく、数字やボディパーツ、パーツには顔の造作も含まれる。人形のように、人格を持たない。人格の疎外化。
女性には人格は必要なく、ボディパーツの見た目と数字で判断される。

そこに大きな性差別が横たわる。

男だって数字で区別されるじゃないかというかもしれない。多くな年収という数字で。でも年収はその人のすることによって出た結果であり、パーツではない。女性はどんなに年収を得ていても、体のパーツで評価される。

というレクチャーだった。

わかりやすかった。

これのこと、書こうと思って時間がたってしまった。

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