むずむずしている原因は
2006年7月13日コメント (2)何よりも給料の手取りを半分もってかれることへの理不尽さ。
今なら5千ドルくらい持てているのに。
毎月1000ドル近く払ってたらとてもじゃないけど、数千ドルの貯金をすることさえ難しい。
はああああああああ他に仕事を探すかバイトをするか。
他の金目当ての仕事、あったとしても、今のようなゆるさ+ちょっぴりクリエイティブな環境はもてない。いや、クリエイティブなんかじゃないけど、でもね、なんだか中途半端さが楽なのか。
他の仕事を追加でしたいなあ。
もっとお金がほしいなあ。
そうしたらメキシコにもいけるし。
でも私のメキシコ行きたい願望はやっぱりいつもの私から逃げたい、人生から逃げたい、という願望なのだということに気づく。
カオスに巻き込まれたい衝動プログラムも、同じく自分の人生を生きずに他人のどんぱちを見ていたいからなのだと。これも自己逃避の形のひとつ。
子供のころからぼうっと周りの人間のどんぱちや病や浮き沈みを見ていたから、私は偉大なる観客なのだけど、偉大なる観客から主人公になるには、やっぱり私が動かなくちゃいけない。
昨日のアパート決定も、基本的には同行したAと押しの強いロシアンブローカーに押された感じ。でもそんなのが気持ちよい、ていうか、もう自分の持つ自己逃避プログラムへ信用を感じられなくなった。
どこか、誰かに決めてほしい。
もう自分で決めるのやになった。てこの言葉、昔日本に帰る前にNYに居たときによくはいてたな。決められない、自分で決めたくない、誰かに決めてほしい。優柔不断なんて言葉は私に無縁だと思ってずっとやってきたのに、なぜか最近、ここ数年、セラピーを始めたころか、それからしばらくしてからか、よく、「決められない自分」に出会う。
今まで私は外部に押されて、押しつぶされないためにいろんなことをきっぱり決めてきた。それはサバイバルのための決定で、選択肢なんてほぼ無いに等しかった。生き残るためには、病気につぶされないためには、うちを出るしかなかったし、日本を出るしかなかったし、学校を卒業しないとワーキングビザは取れなかったし、仕事が無いと生活できなかったし、鹿がいたら日本に戻れなかったし、鹿がいなくなったからNY で一人でいられなかったし、日本に帰ってもいたたまれ無かったし、NYに戻ってこないと荷物があったし、NYに戻って何も無くて........仕事につながるかと、Aに連絡を取って。
この辺からもしかしてちょっと変わるかもしれない。
メキシコにも戻れたけど、戻らなかった。NYにいてもぶらぶらしてて、それも気持ちよかった。いっつもうちにいるAに電話したり会いにいったりするのは安心感があった。踏み込まれすぎない心地よさが、気持ちよかった。
今、仕事始めちゃったけど、本当はやっぱりうちで一緒にぶらぶらしているのがいいな。
私の人との関係レベルはなんか幼児レベルなのかもしれない。幼児のころにあまり誰かと一緒に居たという記憶が無いような。母はいたけどDVの被害で欝だったし。よく寝てたし。一人で遊んでたな。
昨日のセラピーで、母に逃げてほしいと思ってたと思い込んでたけど、本当は、母がもしかして帰ってこないかもしれない、と恐れて毎日家からはなれなかったんじゃないか、ということがぼんやりわかってきたような気もする。私はじっと漫画や本を読みながら、床に座ってじっと何時間も本を読んでた。動かずに。電気もつけずに。母が帰ってきて、「こんなところにいたの?」と見つけてもらえるのがうれしかったってこと。
少しづつ、思い出してきたような気がする。
もうとにかくどこかに移動して、私の好きなものに囲まれて、眠って眠って眠って眠って暮らしたい。
今なら5千ドルくらい持てているのに。
毎月1000ドル近く払ってたらとてもじゃないけど、数千ドルの貯金をすることさえ難しい。
はああああああああ他に仕事を探すかバイトをするか。
他の金目当ての仕事、あったとしても、今のようなゆるさ+ちょっぴりクリエイティブな環境はもてない。いや、クリエイティブなんかじゃないけど、でもね、なんだか中途半端さが楽なのか。
他の仕事を追加でしたいなあ。
もっとお金がほしいなあ。
そうしたらメキシコにもいけるし。
でも私のメキシコ行きたい願望はやっぱりいつもの私から逃げたい、人生から逃げたい、という願望なのだということに気づく。
カオスに巻き込まれたい衝動プログラムも、同じく自分の人生を生きずに他人のどんぱちを見ていたいからなのだと。これも自己逃避の形のひとつ。
子供のころからぼうっと周りの人間のどんぱちや病や浮き沈みを見ていたから、私は偉大なる観客なのだけど、偉大なる観客から主人公になるには、やっぱり私が動かなくちゃいけない。
昨日のアパート決定も、基本的には同行したAと押しの強いロシアンブローカーに押された感じ。でもそんなのが気持ちよい、ていうか、もう自分の持つ自己逃避プログラムへ信用を感じられなくなった。
どこか、誰かに決めてほしい。
もう自分で決めるのやになった。てこの言葉、昔日本に帰る前にNYに居たときによくはいてたな。決められない、自分で決めたくない、誰かに決めてほしい。優柔不断なんて言葉は私に無縁だと思ってずっとやってきたのに、なぜか最近、ここ数年、セラピーを始めたころか、それからしばらくしてからか、よく、「決められない自分」に出会う。
今まで私は外部に押されて、押しつぶされないためにいろんなことをきっぱり決めてきた。それはサバイバルのための決定で、選択肢なんてほぼ無いに等しかった。生き残るためには、病気につぶされないためには、うちを出るしかなかったし、日本を出るしかなかったし、学校を卒業しないとワーキングビザは取れなかったし、仕事が無いと生活できなかったし、鹿がいたら日本に戻れなかったし、鹿がいなくなったからNY で一人でいられなかったし、日本に帰ってもいたたまれ無かったし、NYに戻ってこないと荷物があったし、NYに戻って何も無くて........仕事につながるかと、Aに連絡を取って。
この辺からもしかしてちょっと変わるかもしれない。
メキシコにも戻れたけど、戻らなかった。NYにいてもぶらぶらしてて、それも気持ちよかった。いっつもうちにいるAに電話したり会いにいったりするのは安心感があった。踏み込まれすぎない心地よさが、気持ちよかった。
今、仕事始めちゃったけど、本当はやっぱりうちで一緒にぶらぶらしているのがいいな。
私の人との関係レベルはなんか幼児レベルなのかもしれない。幼児のころにあまり誰かと一緒に居たという記憶が無いような。母はいたけどDVの被害で欝だったし。よく寝てたし。一人で遊んでたな。
昨日のセラピーで、母に逃げてほしいと思ってたと思い込んでたけど、本当は、母がもしかして帰ってこないかもしれない、と恐れて毎日家からはなれなかったんじゃないか、ということがぼんやりわかってきたような気もする。私はじっと漫画や本を読みながら、床に座ってじっと何時間も本を読んでた。動かずに。電気もつけずに。母が帰ってきて、「こんなところにいたの?」と見つけてもらえるのがうれしかったってこと。
少しづつ、思い出してきたような気がする。
もうとにかくどこかに移動して、私の好きなものに囲まれて、眠って眠って眠って眠って暮らしたい。
コメント
これ、わかる。なんか、人生すこしお休みしたい。
でも、わたしはたぶん、お休みしっぱなしだと、だめなんだけど。
めくるめくおやすみはだめなんですかい?うらやましいのに。私にとってはXXXもある種の逃避行動ではあるのだけど。でもいいのよね、ずっと突っ張ってたら筋切れちゃうし。