真剣に
2006年5月18日オファーがあった。ここよりいい条件で。もちろんそっちに行くのがいいに決まっているのだけど、この体質の慣れた悪環境から身を引くことに罪悪感を感じている。
そして昨日のセラピーでそれはもともとの最初の日本での職場,某大手デザイン会社に根拠があったことに気づいた。
あれは私にとって最初の仕事で最後の”クリエイティブ”なしごとだったのだが、会社の性格はこてこての日本奴隷会社だった。働いている人はいい。悪条件の中で一生懸命働く人はたいてい”人がいい”つか、ある意味自分のニーズを放棄している、空「いい人」が多い。もっと自分に正直になっている人はやめていく。そして残っている人はどこかでやめいていく人を恨んでいる。やめないのは自分なのに、悪環境をサポートしているのは自分自身なのにそれを他人に摩り替えていて、どんどん不幸になっていく。私もあそこにいたときは意地が悪くなっていった。自分では考えられないほど卑屈になり、自信を失った。今でもその部分はいえていないことに気づく。クリエイティブな作業に自分の気持ちが入らないと、悲惨な結果になる。私はそれを自分の才能のなさだとずっと思ってた。その結果、学んだこととぜんぜん関係ない職業についてきた。
もう、自分を痛めつけることや、いやなことをさせて自分をいじめることはやめる。
だから私はこの職場やめるわ。
そして昨日のセラピーでそれはもともとの最初の日本での職場,某大手デザイン会社に根拠があったことに気づいた。
あれは私にとって最初の仕事で最後の”クリエイティブ”なしごとだったのだが、会社の性格はこてこての日本奴隷会社だった。働いている人はいい。悪条件の中で一生懸命働く人はたいてい”人がいい”つか、ある意味自分のニーズを放棄している、空「いい人」が多い。もっと自分に正直になっている人はやめていく。そして残っている人はどこかでやめいていく人を恨んでいる。やめないのは自分なのに、悪環境をサポートしているのは自分自身なのにそれを他人に摩り替えていて、どんどん不幸になっていく。私もあそこにいたときは意地が悪くなっていった。自分では考えられないほど卑屈になり、自信を失った。今でもその部分はいえていないことに気づく。クリエイティブな作業に自分の気持ちが入らないと、悲惨な結果になる。私はそれを自分の才能のなさだとずっと思ってた。その結果、学んだこととぜんぜん関係ない職業についてきた。
もう、自分を痛めつけることや、いやなことをさせて自分をいじめることはやめる。
だから私はこの職場やめるわ。
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