隠して隠して
2006年5月17日こっそり書いてみる。今日はひまだ。
ここのところてんぱってて、肩が上がってきている。
肩こりがひどい。
いろいろと模索中なのだが、とはいえなかなかうまくはいかないものだ。
私、最近自分におおきなfearがあることに気づく。NYにくることは自分を周りから引き離すことで心の安定を得ようとしていた行為だった。それは癖になって、NYにいれば日本語環境に、日本にいれば英語環境にいたい、と思う。その理由は回りに交わりたくないからだ。だからこっちにきても日系あるいはそれに関連する仕事しかしたくない。なぜなら「できない自分」を経験したくないからだ。日系にいれば年ということで給料安くでもある程度の敬意(?)を払ってもらえる。というか、距離を保ってもらえる。それが哀れみだろうと、操作の目的だろうとかまわない。わ
ある程度の距離を保って、自分のできない部分を試さないで住む。
でもそれが大きな障害になって自分のしたいと思っている仕事ができない。
英語でのコミュニケーションはどんな仕事でも必須だ。でも、日系にいれば、米系にとっては私は客なので相手が自分の英語にああわせる用に努力する。こちらは客なので、ビジネスのカットをちらつかせれば、相手はゆうことを聞く。
でも私が完全米系の職場で日本語を使わない環境になった場合、アメ人の客対応に苦しむのは私...。なぜなら相手が客だから。
実はポストプロダクションのインターンやったとき、電話対応というのがあったのだが、これが私は本当にだめだった。そのついでに自分の周りに壁を作り、コミュニケーションをどんどん減らしていくというパターンに落ちいった。それで大学でたての仕事もしたことのない、しかもフィルム専攻卒でない子とかにどんどん仕事が回ってしまった。それって大きな衝撃だった。そのままその場は無料だし、別に雇用目的じゃないしね、という言い訳でさっさとでてったわけだけど、ほんとのところはかなり傷ついた。でもそのこと忘れてた。
写真屋で映像も扱いだした。
だからそっちにいくかも
ここのところてんぱってて、肩が上がってきている。
肩こりがひどい。
いろいろと模索中なのだが、とはいえなかなかうまくはいかないものだ。
私、最近自分におおきなfearがあることに気づく。NYにくることは自分を周りから引き離すことで心の安定を得ようとしていた行為だった。それは癖になって、NYにいれば日本語環境に、日本にいれば英語環境にいたい、と思う。その理由は回りに交わりたくないからだ。だからこっちにきても日系あるいはそれに関連する仕事しかしたくない。なぜなら「できない自分」を経験したくないからだ。日系にいれば年ということで給料安くでもある程度の敬意(?)を払ってもらえる。というか、距離を保ってもらえる。それが哀れみだろうと、操作の目的だろうとかまわない。わ
ある程度の距離を保って、自分のできない部分を試さないで住む。
でもそれが大きな障害になって自分のしたいと思っている仕事ができない。
英語でのコミュニケーションはどんな仕事でも必須だ。でも、日系にいれば、米系にとっては私は客なので相手が自分の英語にああわせる用に努力する。こちらは客なので、ビジネスのカットをちらつかせれば、相手はゆうことを聞く。
でも私が完全米系の職場で日本語を使わない環境になった場合、アメ人の客対応に苦しむのは私...。なぜなら相手が客だから。
実はポストプロダクションのインターンやったとき、電話対応というのがあったのだが、これが私は本当にだめだった。そのついでに自分の周りに壁を作り、コミュニケーションをどんどん減らしていくというパターンに落ちいった。それで大学でたての仕事もしたことのない、しかもフィルム専攻卒でない子とかにどんどん仕事が回ってしまった。それって大きな衝撃だった。そのままその場は無料だし、別に雇用目的じゃないしね、という言い訳でさっさとでてったわけだけど、ほんとのところはかなり傷ついた。でもそのこと忘れてた。
写真屋で映像も扱いだした。
だからそっちにいくかも
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