日本語読み書きー>うんこボタン
2006年4月17日さっきまでうんこでないなあ、と思って、ネットに向かって日記を読んでたらいきなりうんこボタンが押された。
本屋で立ち読みしているとうんこしたくなると言う話しがあるのだけど、同じ本屋でも英語の本を読んでいると起こらないけどなぜか日本語の本屋だと起こる。さっきまで運意(うんこしたい意思)はあったけど実現にはいたらなかった。日本語の活字=うんこ発射ボタンってことなのかもしれない。
とうんこをしながら思ったので、ここに記しておきたい。
10年近く友達でいてくれたJがハワイに移住することになった。それも先週決めて来週発つ、という早さ。まるでわたしの日本行きを思い起こさせてくれる。
今までしてた仕事を首になって、というか経営が成り立たなくなってマネージャーをしてたJを解雇したのだけど、それをきっかけにハワイに準備段階で買っといたコンドもあるしということで、発つことに決めたらしい。Jはもうすぐ60歳になる。確か今年そうなるのか。だからこそ早くに移りたいのかもしれない。今年中にJとMは移るという話しは聞いてたのだけど、こんなに早いとは思わなかった。
そんで昨日はお別れ(?)ランチをして、その後みんなと別れたけど、アとけんかしてしまい、一人になっていった公園でまたJたちと偶然鉢合わせするという運命に。私たちって運命の糸に結ばれているのねーなんていってて、アも最後に加わったけど、それをきっかけにみんな帰ってった。その後アと一緒にベンチに座ってたのだけど、喧嘩の原因になったシルクのスカートにこぼれたシュークリームのクリームの話しになったらまた腹が立って来て、あまりにも腹が立って気がついたら泣いていた。というか、じつはJがいなくなることが以外にもものすごく悲しいと思っている自分がいて、そのまましばらく泣いてしまった。
考えてみたら、わたしのNYの友人はアも含めてわたしよりも10歳以上年上の人が多くて、マーチンもJもアもいつかみんないなくなっちゃうのかも、と思ったらすごく怖くなって悲しくなって悲しさ倍増になってしまった。
自分と同じくらいの年齢の人と付き合ってないって言うことは自分自身の責任なのだけど、こうやって偶然にもなんか親くらいの年齢の人とかと一緒にいて、かわいがってもらっていることになれてしまっているような気がする。Jとマーチンとがいなくなったら突然わたしの周りを包んでいた毛布のようなオーラがなくなってしまって、すごく悲しくなってしまった。アは「Jのためにいいことなのに。君は嫉妬している」とか言われて、腹立ったけど、全然そうじゃなくて、ただ単純に好きな人が離れてしまって悲しい、ということなんだ。きっとJにとってはわたしはそんなにすっごく大切な友人という訳ではないのだろうが、わたしにとってはマーチンと同じく精神的な意味でわたしがNYに戻ってくることを助けてくれた人で、彼らのうちはわたしがNYの実家と呼んでいるような場所だったのに。
でもなぜかわたしのそばにはアがいて、アと一緒に住んでて、もちろん先はどうなるかわからないけど、バーチャルなnyの実家よりももう少し、実質を伴った場所を得ている自分の状況の不思議さを思う。
今日はイースターなので、アの姪のうちにご飯食べにいく。本当の(ほんとっていうか)家族関係っぽいものはもっとめんどくさくて煩わしくて、選択権がなくておっくうだったりするのだけど、わたしは家族以外の人間関係を時間をかけて通りながら練習してここまでこれたので、それもJやマーチンのおかげかな、と思う。
なんかもう少しきちんと伝えていければいいのだけどね。
本屋で立ち読みしているとうんこしたくなると言う話しがあるのだけど、同じ本屋でも英語の本を読んでいると起こらないけどなぜか日本語の本屋だと起こる。さっきまで運意(うんこしたい意思)はあったけど実現にはいたらなかった。日本語の活字=うんこ発射ボタンってことなのかもしれない。
とうんこをしながら思ったので、ここに記しておきたい。
10年近く友達でいてくれたJがハワイに移住することになった。それも先週決めて来週発つ、という早さ。まるでわたしの日本行きを思い起こさせてくれる。
今までしてた仕事を首になって、というか経営が成り立たなくなってマネージャーをしてたJを解雇したのだけど、それをきっかけにハワイに準備段階で買っといたコンドもあるしということで、発つことに決めたらしい。Jはもうすぐ60歳になる。確か今年そうなるのか。だからこそ早くに移りたいのかもしれない。今年中にJとMは移るという話しは聞いてたのだけど、こんなに早いとは思わなかった。
そんで昨日はお別れ(?)ランチをして、その後みんなと別れたけど、アとけんかしてしまい、一人になっていった公園でまたJたちと偶然鉢合わせするという運命に。私たちって運命の糸に結ばれているのねーなんていってて、アも最後に加わったけど、それをきっかけにみんな帰ってった。その後アと一緒にベンチに座ってたのだけど、喧嘩の原因になったシルクのスカートにこぼれたシュークリームのクリームの話しになったらまた腹が立って来て、あまりにも腹が立って気がついたら泣いていた。というか、じつはJがいなくなることが以外にもものすごく悲しいと思っている自分がいて、そのまましばらく泣いてしまった。
考えてみたら、わたしのNYの友人はアも含めてわたしよりも10歳以上年上の人が多くて、マーチンもJもアもいつかみんないなくなっちゃうのかも、と思ったらすごく怖くなって悲しくなって悲しさ倍増になってしまった。
自分と同じくらいの年齢の人と付き合ってないって言うことは自分自身の責任なのだけど、こうやって偶然にもなんか親くらいの年齢の人とかと一緒にいて、かわいがってもらっていることになれてしまっているような気がする。Jとマーチンとがいなくなったら突然わたしの周りを包んでいた毛布のようなオーラがなくなってしまって、すごく悲しくなってしまった。アは「Jのためにいいことなのに。君は嫉妬している」とか言われて、腹立ったけど、全然そうじゃなくて、ただ単純に好きな人が離れてしまって悲しい、ということなんだ。きっとJにとってはわたしはそんなにすっごく大切な友人という訳ではないのだろうが、わたしにとってはマーチンと同じく精神的な意味でわたしがNYに戻ってくることを助けてくれた人で、彼らのうちはわたしがNYの実家と呼んでいるような場所だったのに。
でもなぜかわたしのそばにはアがいて、アと一緒に住んでて、もちろん先はどうなるかわからないけど、バーチャルなnyの実家よりももう少し、実質を伴った場所を得ている自分の状況の不思議さを思う。
今日はイースターなので、アの姪のうちにご飯食べにいく。本当の(ほんとっていうか)家族関係っぽいものはもっとめんどくさくて煩わしくて、選択権がなくておっくうだったりするのだけど、わたしは家族以外の人間関係を時間をかけて通りながら練習してここまでこれたので、それもJやマーチンのおかげかな、と思う。
なんかもう少しきちんと伝えていければいいのだけどね。
コメント