ガーデンステイト

2006年4月2日
をTVで見た。
医療系シットコム「スクラブ」の主演俳優が主演脚本初監督作品だった。ダニーデビートがex producerのほか、本人や競演のナタリー.ポートマンもみんな....。
なかなかよかったです。しかしこの本人主演君は表情があまりない。ていうか、ちょっといつも悲しそう。そのためこの話しの主役にはとてもはまってたです。本人自分のために書いたんだろうね。実話がベース?とか思ったけどそんなことはないか。

それを見てたらアから電話が来て、何かの拍子で思わず「私は金曜日の夜に一人でTVの映画を見ていて、人生の時間がどんどん過ぎていってしまう。」みたいなことを言ってしまった。仕事を終えたアがエージェンシーと飲んで、その後ディレクターとレストランで食事、というのになにジェラシーを感じたのかもしれない。

そして私は一ヶ月、アの帰りをただ待っている。待っていることは自動詞なので、自分で勝手に待ているのだけど、そんな自分がはがゆいというか。何も起きていない自分(日本語でいうと変だね nothing happening, という感じなのですが)に腹立たしい。でも外に出ていてもただの消費者になってしまい、「作る人」になっていない自分が腹立たしい。

今の状態が幸せだから、何かを変えるのが怖い。変化を恐れる、というのは私のような環境に育った人の特徴ではあるのだけど、あまり自分が当てはまるとは思わなかった。自分でいろいろどっか行っちゃったりする方だし、と思ってたんだけど。
そういうことではなくて近い関係での小さな動き、大きな心の変化、見たいのが怖いみたい。

知らないところに一人で旅をするのはリスクが大きいけど、何かあったらそれこそどうしようもないから、或る意味平穏でいられる。普通の生活は一見自分でコントロールが利くように見えるので、それでコントロールが効かないということを考えると、そしてそれが大切な物だととても怖くなってしまう。

私はいつも漠然と考える未来像、というのがあって、どこかあまり人のいない一軒家で一人で暮らしている、というのなのだ。海の近くの崖の上のうちで。これはきっと映画とか見ててインプットされたんだろうけど、一人で老後住むならそういうところに住む、と勝手に思っている。まあ日本は土地も高そうだから、離島か、日本以外の土地の値段なんてあまりないようなへんぴな離島で。

そこで人生がすぎていくのを待っている、という感じなのだが、それを待っている自分の人生をすぎていくのを待っているような気がしてならない。特に今みたいな、動くのも不安な感じだと。

停滞期にであって結婚してしまった場合、停滞期でない状態に移っていくのは勇気のいることだなあ。アは経済的な理由でジャンジャカ仕事しているけど、私はここに来て経済的な理由も失ってしまい、なんだか好きでもない仕事をしている理由がなくなってしまった。

それでもしているけど、そんな自分がなんだかな、と思っている。

そんな暖かい土曜日なのでした。

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