みんな違って当たり前なんだよね。それは前提条件だ。
2006年3月2日コメント (7)私ね、女性同士の中で「私はあなたと違うわ」ごっこをしているのとみるのも嫌い。好きでもない人から私とあなたは一緒よね!って言われるのは嫌だけど、いたいなあ、と思う人をただ嫌い、と決めつけて排除するんじゃなくて、そういうのって自分にもあるじゃん、と思えるくらいの容量でいれたらいいと思う。
なぜなら、日本で女性は数の上では決してマイノリティーではないのに、なんでこんなにへこへこしてんだよ、と思うから。日本の男はなんでえばって当たり前、とか、女に向かってお前とか平気で言うんだよ、と思う。なんでそういわれている女の子の後ろにたって支えてやんないんだよ、とおもうから。彼女じゃなくて自分にも怒ることだと考えられないのかな、とか彼女じゃなくて、自分の仲のいい友達にそんな仕打ちをされたらいやじゃないのかな、と思うから。
私は多分、女友達に恵まれたんだと思う。
私の友達は、私が男で嫌な目にあったら怒ってしまうような人たちだったし、私も友達が嫌な目にあったら本気で怒るような性格だ。あんたはあんた、私は私、デイ対比とはそれでいいと思う。けど、私は年とって日本に帰った時、自分の出身国の変わってなさを恥ずかしく思ったりするのはやだな、と単純に思う。
アメリカにいて、なんで日本の女の人はそんな仕事や社会的な地位で差別されたままで黙ってんの?と聞かれることがある。離婚にしたって、慰謝料を払わない男に、政府から差し押さえが入ったり、刑務所に入ったりすることはないから、結局強制力がない。男性より女性の賃金が低いのは当たり前だし、管理職の数だってダントツに違う。それでも、「そんなのあんたと私は違う人間だから知らない」っていつまでも言い続ける。私の仕事は他の人と違うから他の人のことなんか知らないって言い続ける。だから変わんないんじゃないのかな。まあ、そういう人は他の人が変わろうと変わるまいとどっちでもいいんだろうな。確かに、関係ないもんね、自分の生活には。自分に子供がいれば影響を受けるんだろうけど。でもそれも自分じゃないもんね。
男が男社会を守っているのは、男同士で男社会を守ろうとしているからだと思う。女同士はそれをしない人が多いからなのかな。世代の上の人で管理職になっている人も「私だからなれたんです」的な人が多い。土井たか子とか?個人のレベルで終わるから後に続かない。という気がする。そういうのが歯がゆい。かといって、やる気のない人を引っ張れとは言わないけど。
女の男社会への進出は出遅れている分だけ、横のつながりが必要だと思うけど、でもいかに少ない椅子に座るかのいす取り合戦の方が激しいのかもしれない。
なぜなら、日本で女性は数の上では決してマイノリティーではないのに、なんでこんなにへこへこしてんだよ、と思うから。日本の男はなんでえばって当たり前、とか、女に向かってお前とか平気で言うんだよ、と思う。なんでそういわれている女の子の後ろにたって支えてやんないんだよ、とおもうから。彼女じゃなくて自分にも怒ることだと考えられないのかな、とか彼女じゃなくて、自分の仲のいい友達にそんな仕打ちをされたらいやじゃないのかな、と思うから。
私は多分、女友達に恵まれたんだと思う。
私の友達は、私が男で嫌な目にあったら怒ってしまうような人たちだったし、私も友達が嫌な目にあったら本気で怒るような性格だ。あんたはあんた、私は私、デイ対比とはそれでいいと思う。けど、私は年とって日本に帰った時、自分の出身国の変わってなさを恥ずかしく思ったりするのはやだな、と単純に思う。
アメリカにいて、なんで日本の女の人はそんな仕事や社会的な地位で差別されたままで黙ってんの?と聞かれることがある。離婚にしたって、慰謝料を払わない男に、政府から差し押さえが入ったり、刑務所に入ったりすることはないから、結局強制力がない。男性より女性の賃金が低いのは当たり前だし、管理職の数だってダントツに違う。それでも、「そんなのあんたと私は違う人間だから知らない」っていつまでも言い続ける。私の仕事は他の人と違うから他の人のことなんか知らないって言い続ける。だから変わんないんじゃないのかな。まあ、そういう人は他の人が変わろうと変わるまいとどっちでもいいんだろうな。確かに、関係ないもんね、自分の生活には。自分に子供がいれば影響を受けるんだろうけど。でもそれも自分じゃないもんね。
男が男社会を守っているのは、男同士で男社会を守ろうとしているからだと思う。女同士はそれをしない人が多いからなのかな。世代の上の人で管理職になっている人も「私だからなれたんです」的な人が多い。土井たか子とか?個人のレベルで終わるから後に続かない。という気がする。そういうのが歯がゆい。かといって、やる気のない人を引っ張れとは言わないけど。
女の男社会への進出は出遅れている分だけ、横のつながりが必要だと思うけど、でもいかに少ない椅子に座るかのいす取り合戦の方が激しいのかもしれない。
コメント
これはすごくあると思います。
>少ない椅子に座るかのいす取り合戦の方が激しいのかもしれない。
これもすごくあると思う。
まあまだ過渡期なんでしょう。
なんだかんだいってこの30年の変化は目を見張ります、私。
たゆまずいけば、歩みは遅いだろうけど、変わるんじゃないかな。
ちなみに、イスラエルで、ヨーロッパ系移民とアジア系移民(ヨーロッパ系移民の方が、アジア系移民より、政治的経済的に強い力をもっている)を使った実験があるんだけれど、ヨーロッパ系移民はお互いの利益を守るけど、アジア系移民は、それをしないって実験結果がえられました。抑圧されたグループって、内部で争うんじゃないかと思うよ。そのメカニズムを解明する実験をデザインしているところなんで、ほんと、こういう議論は、助かります。
これって、武士階級の中では結束して、互いの便益を図る、って意味でもありますよね。
これは、上にいるものだけが許されるさばイブ法なのかも。
支配層が自己の支配を維持するためのもので。
おんなのみちはけわしいなー。
と言い訳しといて話を続けると、私は、女性が管理職になったり賃金があがったりすることが「いいこと」とは思ってないのね。
それは資本主義の論理だと思う。
今現在の社会は男社会の仕組みになってて、その「男」の椅子をそのまま「女」にやるといわれてもつらいだけだ。
女が労働力として利用されるだけだ。
社会の仕組みが「お金は必要最小限だけ稼ぐ」とかにならない限り、「女性の社会参加拡大」は結局女性の負担を増やすだけと思う。
そうやってる間にも自分の子供はどんどん大きくなってしまうんですよ。
私は社会なんかのために自分の子供を犠牲にしたくない。
だったら、こっちが折れるしかない。
たぶん、「日本の女は自分勝手」ていうかいちゅうの印象は、日本の女のほうが「母親」だからじゃないスか。
「女」という大きなカテゴリの改善より、「自分の家庭」という小さなカテゴリを守ることが優先なんですよ。
守備範囲が狭い。
そういう努力を上からの物言いで「日本の女は」とか勝手に括られると、「へえ、じゃあキミらはちゃんと子供育てられてんの? 家庭を続ける努力してんの?」と言いたくなる。
結婚もしないし子供も生まない女、つまり男とまったく対等に仕事できる環境の女と、子持ちの女を同じレベルではかることはできない。
それをひとくくりに「抑圧されてる」とか「犠牲になってる」とかぶちあげることで、「私って不幸なのかも…」と考えてしまうこと自体が不幸だ。
文化としてスムーズにやってきたことを、別の文化のやりかたで「それ間違ってるから!」と解体するのは、宣教師が土着宗教を異教呼ばわりするのと変わりないと思います。
なんてことを、今さら言っても無駄なんですけどね。もう相当、解体されてるから。
今までのような仕組みがうまく行かなくなっているは誰もが認めている部分だから、新しい仕組みを考えていくしかないんじゃないのかな、とは思う。
そうじゃなかったら誰も子供なんて育てたくなくなるもの。だってばかばかしいじゃん、自分ばっかり大変な思いして、誰にも感謝されないなんて。
ごめん、わかんないや。うまく言えない。この議論はこのまま続けたいんだけど、うまく言えない。
母親が家庭のアジャスタになることで、スムーズに運営できる。そういうアジャスタ状態を回虫は「ヘコヘコしてる」って感じてるのかなーと思います。
私はそれを「経営努力」だと思うのだけど。
でもたぶんこう書くと「私は日本の女だけどそうは思わない」という人がいるでしょう。
>皆が皆その立場にあるとは思えない
のだから、「日本の女はこうこう」とひとくくりにして欲しくないなと思うわけです。
にしても
>私は年とって日本に帰った時、自分の出身国の変わってなさを恥ずかしく思ったりするのはやだな、と単純に思う。
っていう発言はねえ…ひどいよー。
「アタシは何もやんないけど、そっちでアタシが帰るまでに変えといて。恥ずかしいから」ってことじゃん。
どこの女王様だよー。
私がこの話にくどくど噛みついてるのは、回虫のそういう姿勢が疑問だからです。
回虫は、そういう日本社会がイヤでアメリカにいるのでしょう。別にそれ自体は全然かまわない。回虫が幸せに暮らせる場所で暮らした方がいい。
誰だって幸せになりたくて暮らしてる。
それを別の文化の論理で「幸せだと思いこんでるけどキミたちは本当は不幸なんだ」って斬るのは、将棋をサッカーのルールでやりましょう。なぜならサッカーは素晴らしいスポーツだから! とか言われてるように感じるんですよ。
っていう発言はねえ…ひどいよー。
そりゃー......そうだな。
でも私の気持ちとしては「勝手に変えといて」て言っているつもりもないんだけど、じゃああんたはアメリカで何してんだよ、といわれると、困る。
私が勝手に変えといてって思っているわけではない理由は、こっちで働いてたりする日本人の女の人も、日本には帰りたくないけどかといって、こうやって異人の地で異人として生きているのはどうなのかな?とか思っている人が結構いるわけだ。だったら日本に帰って改革すれば?て言うことになるのかもしれないけど、そうするとサバイブできない。サバイブしたい、ほしいものもほしい、でもどうすればいいのかわからない、というような思いはみんな抱えていると思うのさ。
で、そう言い出すと男の人だってみんな抱えているんだけどさ。ていうか日本もどこも関係ないんだけどよ。
「経営努力」ってさ、自分を小さくしなきゃいけないのかな、って思うのさ。小さく背中をちじこまらせて、走り回っているおばさんのほうが、間抜けずらして気が利かなくて突っ立っている「マネージャー」とかより出来んじゃないの?と思うのさ。馬鹿を表に立たしてこっちは好きなようなテンポで働いているって、生活の知恵だと思うんだけど、なんかちがうようなきがすんのよね。
日本にいる女の人がみんな不幸だなんていっているつもりはないよ。そういう風に聞こえるのかな。