えーと、
なんか女性が女性を批判するのはいたくてやだなあ、といつも思っていて、その辺の気分をどう表現すればいいのかわからない。まるで、ポルノは女性差別だ、と叫ぶフェミニストが、それじゃあ肌を露出しなくて....という考えの究極に行くとイスラム教の体中を隠すベールと極端な性差隔離につながってしまうという考えに気づいて戸惑う、という感じかもしれない。
子供を食う母親は、子供を支配することしかできなかった母親=女の哀れさを感じ取ってあげたいとは思う。批判はしたくない。
いま、ペーパーバックのSHAME & GUILT Jane Middelton-Moz という薄っぺらだがかなり強力な本を読んでいる。子供の頃に親との関係で傷ついた子供が、その自分の無力さを恥に思い、さらにそれを罪悪感として育てる家庭がものすごく簡潔に書かれている。
そしてそのつらい関係のなかでの大人である親もまた、自分の傷ついた始めての人との関係=その親との関係から様々な物を引き継いでいる、ということなのである。その鎖を切るには、今自分の持っているつらい傷を感じてそれについて話し、通り抜ける、という作業が鍵になる。
この感じる、というのが多分多くの人にとって最も恐ろしいプロセスなのだけれど、ただ表面的にアナライズするだけではその奥に潜んでいるいろいろなことを自分で知るには難しい。まあこれをやるかやらないかはその人のチョイスだし。みんなができる訳ではないと思う。それは、専門家の介入は必要だし、その費用やうんぬん、あるものね。でもできるのであれば、したいのであれば、方法はあると思う。
(余談だけど保健所とかに行政にサイコセラピーを行うセクションを政府の援助で作ればいいのに。繁盛すると思うけどな。)
ところで纏足に関しての本を読んだことがあるのですが、当時の中国では纏足をしないといいところに嫁に行けなかったそうです。そして、母親にしてみれば、親として、子供の将来を台無しにすることはできないというプレッシャーのもと、泣きながら子供の足を石でつぶした、という話しでした。確かこれは中国からアメリカに移民してきた女性が書いた話だったので(実話かどうかは忘れました)、日本人が書いたもの、あるいは中国人の男性が書いたものよりは信憑性があるような気がします。
日本にせよアメリカにせよ、女性に対する女性からの批判というのは、種類は違うんだけど、聞いているとつらくなります。アメリカの場合は人種やクラスが絡んでくるのでよけいにややこしいですが、日本の場合は主に年齢を得た女性や男にこびない=女らしくない女性というのにたいしてのバッシングがすごい。
多分自分に似た相手を批判するという行為は、絶対ああならないぞ!と思いながらもそうなるかもしれない、という不安の現れなのかもしれない。我が身を振り返るとそういう気がします。
なんか女性が女性を批判するのはいたくてやだなあ、といつも思っていて、その辺の気分をどう表現すればいいのかわからない。まるで、ポルノは女性差別だ、と叫ぶフェミニストが、それじゃあ肌を露出しなくて....という考えの究極に行くとイスラム教の体中を隠すベールと極端な性差隔離につながってしまうという考えに気づいて戸惑う、という感じかもしれない。
子供を食う母親は、子供を支配することしかできなかった母親=女の哀れさを感じ取ってあげたいとは思う。批判はしたくない。
いま、ペーパーバックのSHAME & GUILT Jane Middelton-Moz という薄っぺらだがかなり強力な本を読んでいる。子供の頃に親との関係で傷ついた子供が、その自分の無力さを恥に思い、さらにそれを罪悪感として育てる家庭がものすごく簡潔に書かれている。
そしてそのつらい関係のなかでの大人である親もまた、自分の傷ついた始めての人との関係=その親との関係から様々な物を引き継いでいる、ということなのである。その鎖を切るには、今自分の持っているつらい傷を感じてそれについて話し、通り抜ける、という作業が鍵になる。
この感じる、というのが多分多くの人にとって最も恐ろしいプロセスなのだけれど、ただ表面的にアナライズするだけではその奥に潜んでいるいろいろなことを自分で知るには難しい。まあこれをやるかやらないかはその人のチョイスだし。みんなができる訳ではないと思う。それは、専門家の介入は必要だし、その費用やうんぬん、あるものね。でもできるのであれば、したいのであれば、方法はあると思う。
(余談だけど保健所とかに行政にサイコセラピーを行うセクションを政府の援助で作ればいいのに。繁盛すると思うけどな。)
ところで纏足に関しての本を読んだことがあるのですが、当時の中国では纏足をしないといいところに嫁に行けなかったそうです。そして、母親にしてみれば、親として、子供の将来を台無しにすることはできないというプレッシャーのもと、泣きながら子供の足を石でつぶした、という話しでした。確かこれは中国からアメリカに移民してきた女性が書いた話だったので(実話かどうかは忘れました)、日本人が書いたもの、あるいは中国人の男性が書いたものよりは信憑性があるような気がします。
日本にせよアメリカにせよ、女性に対する女性からの批判というのは、種類は違うんだけど、聞いているとつらくなります。アメリカの場合は人種やクラスが絡んでくるのでよけいにややこしいですが、日本の場合は主に年齢を得た女性や男にこびない=女らしくない女性というのにたいしてのバッシングがすごい。
多分自分に似た相手を批判するという行為は、絶対ああならないぞ!と思いながらもそうなるかもしれない、という不安の現れなのかもしれない。我が身を振り返るとそういう気がします。
コメント
個人的意見を「私個人として」じゃなく社会的立場から発言されると、「私の代弁を勝手にしないで。だいたいアンタと意見違うし」と思う。
団体の代表とかは別なんですけど(発言する段階でコンセンサスとれてるんだろうから)。
だから
>日本の場合は主に年齢を得た女性や男にこびない=女らしくない女性というのにたいしてのバッシングがすごい。
という雑なとらえ方も違和感あります。
少ない経験を、すべてにあてはまる法則みたいに敷衍させるのは危険だと思う。
ちょっとしたことで精神的落ち込みの罠にはまりそうだし…
でもさー、おばさんだからーとかもういい年なのにーとかって言葉って決まって日本人かその他の日本人女性から聞くんだよねー。だからさー、自分でそういっちゃ自分の可能性つぶすんじゃーないのー?と思う。
そんで、「女を磨く」系のことを言う人って結構いるじゃん。まあ、そういうこと言うこと自体、世代を感じる言葉なのかもしれないけど。なんかさー、遊びで勝手に遊ぶんならいいけど「モテ系なんとか」とか日本の車内吊り広告とかで見ると、(こんなんにもてたいんか?それとも単なる自己満足?ていうかほかにすることはないのか?)とか思っちゃうんだよねー。
おばさんにたいするきっついギャグとか日本多いじゃん。そういうのって日本にずっといれば違和感なくなんかも知んない。でも帰るたびに、ほんとちょっとTVつけるたびになんじゃこりゃあ?と思う。これって少ない経験なの?ていうか、別のところでは年齢を得た女性や男にこびない=女らしくない女性は賞賛、重きを置かれているのかな?
女性の話とか日本で言うとたまに「なんで女性だけなの?」とか女性から食って掛かられることがあるんだけど、感覚が違うのかな?
話ずらしてごめん。