愚痴る
2005年11月27日久々に愚痴ってみた。
Aに。メールで。ていうか、家族のこととかは愚痴りきれない。言葉では。そして言葉にして話してしまうと「こんななさけない家族を持つ私」に対しての自己評価が下がるので口にすることもかなり勇気がいる。
最近本当に思うのは、「人に何かをして貰えないということ=不幸、と思う人の幸福度・満足度の低さ」に関してである。
これは我が家では著しい。
うちの父は戦後までは専属の乳母がいたらしい。だから彼にとって自分で自分のことをするということは「罰」のようだ。つまり過保護、甘やかしがどれほどその人の人格形成に害をなすかの典型的な現れである。
一方母は、小学校三年生の頃に母親をなくし、その年で子守として働きに出された祖母の下、これまた祖母の「母親のいる子供は何でも母親にやってもらうのが普通」の幻想の下に超過保護で生まれ育ってきた。それも知識教養のある人の過保護ではなく、ある意味乳母のような女中のやうな母親の過保護の元である。
母は結婚するまで「お米のたき方もお味噌汁の作り方も知らなかったので本を読んで勉強した」そうである。
当然二人の自立度は低く、よって自分で自分を幸福に出来る能力も著しく低い。私たちは母の「ママは何にも出来なかったから、苦労したからあなた達には苦労させたくない」の呪詛の下結構早くからご飯を作ったりしていた。でも何処かでその呪詛の響きの中に含まれる「自分で自分のことをすることは罰」のようなニュアンスは聞き取っていた。
何かことがあると「じぶんでしなさいっ!!!!」と叫んでた母だった。自分でしなさい!が怒るときの言葉であるということは自分でする事=罰になるわけだ。
だから母は、新しいものや新しい家などをむやみやたらと賞賛する。でも新しい家を建てても、新しい家の手入れは消してしない。勿論それは父も同じで、新しい家も5年も手入れをしないと一見新しくても子汚い家になる。それがいやならしい。
Aの両親は今年80歳で築約50年くらいになる家に住んでいる。その美しさ、というか、手入れのよさは目を見張る。これは改装したんですか?の問いにお父さんは胸を張って「そんなことは一切していないよ。ペンキを塗り替えただけかな?後はローズ(Aのお母さん)があそこを直せここを手入れしろってうるさいんだ。」と言う。
私はいつしか母の「誰かが必ずきれいにしてくれる魔法のおうち」の矛盾に気づいてたので、(それってあんたがやるか、金払って誰かに頼むかしないと無理じゃん?)と思ってたのだが、本当にずっと手入れをしながら清潔で気持ちのいい整ったうちにすんでいる老人を見て度肝を抜いたくらい衝撃的だった。
ほんとにいるんだそんな人。と思った。
まあ、そのうらにはAの潔癖ともいえる不潔嫌い(ガラスのテーブルに水滴の後が着くのがイヤで一人でもコースターははかかせない)などがあるのだが。だからこそ冷静に考えて、絶対一緒には住めない、と思っているのだけどさ。
でも私もそんな親に育てられたせいで彼から観れば自分の事を自分で幸せにする能力の低い人なのかもしれないなー。
と思う。まあ、それはそれで仕方ない。
でも私は美味しいものを作れるもん(その気になれば)。
Aに。メールで。ていうか、家族のこととかは愚痴りきれない。言葉では。そして言葉にして話してしまうと「こんななさけない家族を持つ私」に対しての自己評価が下がるので口にすることもかなり勇気がいる。
最近本当に思うのは、「人に何かをして貰えないということ=不幸、と思う人の幸福度・満足度の低さ」に関してである。
これは我が家では著しい。
うちの父は戦後までは専属の乳母がいたらしい。だから彼にとって自分で自分のことをするということは「罰」のようだ。つまり過保護、甘やかしがどれほどその人の人格形成に害をなすかの典型的な現れである。
一方母は、小学校三年生の頃に母親をなくし、その年で子守として働きに出された祖母の下、これまた祖母の「母親のいる子供は何でも母親にやってもらうのが普通」の幻想の下に超過保護で生まれ育ってきた。それも知識教養のある人の過保護ではなく、ある意味乳母のような女中のやうな母親の過保護の元である。
母は結婚するまで「お米のたき方もお味噌汁の作り方も知らなかったので本を読んで勉強した」そうである。
当然二人の自立度は低く、よって自分で自分を幸福に出来る能力も著しく低い。私たちは母の「ママは何にも出来なかったから、苦労したからあなた達には苦労させたくない」の呪詛の下結構早くからご飯を作ったりしていた。でも何処かでその呪詛の響きの中に含まれる「自分で自分のことをすることは罰」のようなニュアンスは聞き取っていた。
何かことがあると「じぶんでしなさいっ!!!!」と叫んでた母だった。自分でしなさい!が怒るときの言葉であるということは自分でする事=罰になるわけだ。
だから母は、新しいものや新しい家などをむやみやたらと賞賛する。でも新しい家を建てても、新しい家の手入れは消してしない。勿論それは父も同じで、新しい家も5年も手入れをしないと一見新しくても子汚い家になる。それがいやならしい。
Aの両親は今年80歳で築約50年くらいになる家に住んでいる。その美しさ、というか、手入れのよさは目を見張る。これは改装したんですか?の問いにお父さんは胸を張って「そんなことは一切していないよ。ペンキを塗り替えただけかな?後はローズ(Aのお母さん)があそこを直せここを手入れしろってうるさいんだ。」と言う。
私はいつしか母の「誰かが必ずきれいにしてくれる魔法のおうち」の矛盾に気づいてたので、(それってあんたがやるか、金払って誰かに頼むかしないと無理じゃん?)と思ってたのだが、本当にずっと手入れをしながら清潔で気持ちのいい整ったうちにすんでいる老人を見て度肝を抜いたくらい衝撃的だった。
ほんとにいるんだそんな人。と思った。
まあ、そのうらにはAの潔癖ともいえる不潔嫌い(ガラスのテーブルに水滴の後が着くのがイヤで一人でもコースターははかかせない)などがあるのだが。だからこそ冷静に考えて、絶対一緒には住めない、と思っているのだけどさ。
でも私もそんな親に育てられたせいで彼から観れば自分の事を自分で幸せにする能力の低い人なのかもしれないなー。
と思う。まあ、それはそれで仕方ない。
でも私は美味しいものを作れるもん(その気になれば)。
コメント