私ってさーやっぱり過去の亡霊に取り付かれているんだなー。と思う。ていうか、いつもそう思うんだけど。

うちの父親は母親を経済的にも虐待してた。たとえば家の税金を払わずに滞納し、母親に生活費の中から払わさせる、で母親が「税金払っておいたから(その分)払ってよ。」ときがおかしくなりそうなくらいに何度もいわせ、それをねたに切れ、母親を殴ったり罵倒したりした末に、現金を床に投げ捨てて、それを母親に拾わせていた。

実際その母親が現金を拾う様は見た事がないが、母から聞かされていた。ただ大きくなってからも生活費は銀行の袋に入れて食卓の上に投げ出すように母に与えていた。

母は屈辱に耐えながらゆがんだ笑顔でお礼をいってたっけ。

そんなうちに育った私は、父からお金を受け取ることを最小限にしてた。だから高校のときにテニススクールに通うお金も自分でバイトしてそのお金で通ってた。
大学に行くのも、実は高校に行くのも、父親のお金で行くのがいやで躊躇した。大学へは母の一言「お姉ちゃんたちはみんなパパから出してもらっていっているんだから、行かせてあげるっていっているんだから行かせてもらいなさい。」その方が得よ、と暗に言われているようだった。

だから、NYへの留学も自費の貯金で行ったし、来てからもずっとバイトしたお金で生活してた。でも学費が足りなくなった時点でものすごく悩んだ。日本にいる古くからの友達に「私のお金を貸してあげる」とまで言われ、それはさすがに出来ない、と思い、父親に恥を忍んで頼んだ。わりとすんなり承諾してもらい、驚いた記憶がある。そのときの友達には感謝している。

そしてそんな父は、学生時代の私のシェアしているアパートを一度ちょっと見に来て、半泣きだった。私にしてみればその前の二ヶ所よりはずっとまともなところだったので、泣くほどショックを感じられていたのを見てショックだった。「もっとひどかったのに・・」とそのもっとひどかった場所たちを見せてあげたかったくらいだ。

そのことについて直接触れたことはないが、その後どうやら自分のせいで私がNYまでいって極貧生活をしていることについて、自分を責めていたのかな、と思われる言動があった。そうまでしないと、自分が何をしていたのか、わからない人なのだ。

私にしてみれば、貧しくともうちで生活するよりはうんとストレスは少なかったのに。お金のない生活のストレスよりも、家族から受けるストレスのほうがはるかに膨大だからだ。

私の父親への憎しみは、母親が感じていた彼への憎しみが加算されている。でもどちらにせよ、それで傷ついたのは私だ。

Aの会社を通して今まで仕事をしていたところからお金を払ってもらっている。
Aが私が払う税金の額を低くしようとして、ちょこちょこと分割して現金でくれたりしているのはわかっているが、その間隔が私の消費するスピードにあわないのだ。
だから私はたった25万くらいのお金に対して何十回も払ってって言わなくてはならない羽目になる。実際そうでなくとも心理的にはそういう気持ちだ。

それが猛烈に辛い。

だから今回のお金は一括で小切手で支払ってもらった。もうこれで何度もお金に対して言及しなくていい。そのほうが私にとって精神衛生上にいい。

それに、二人の関係の上でもそのほうがいい。

これは私にとってとても痛いサブジェクトなのだ。だからあまりそれを刺激したくない。
お金がないのはいい。でも身近な人とお金のやり取りをする間になりたくない。

仕事は仕事、お金はお金、そして個人的な関係は個人的な関係としてきっぱり分けたい。それがだめだったら、最終的に残ってしまう部分だけできっぱりさせたい。

Aとの関係も最後はお金で解決するようになるんだろうな。

それでもいい。お金の関係で自分の心を傷つけたくないから。

コメント