日本ではさ、働きすぎ=普通だからね。
普通の生活に成りたいと思ったら給料の安い派遣とかにならないといかん。それでも私はそっちをとるな。

いろいろなところでいろいろな業種と職種をしてきたけど、思うに私の一番最初の職場の巨匠(と呼ばれてた)が言ってた言葉は本当だなあ、と思う。そのときなバブルだったし、大手のデザイン会社で人が倒れたり、2徹3徹は若けりゃ当たり前でしょ、の会社だった。巨匠はいつも
「自分のために仕事をしろ」
「体を壊しても会社は何もしてくれないよ。切り捨てるだけ。」
という、自分にとって自分が一番大事でないといけない、と言っていた。

そしてその言葉は本当にそうだなあ、と思う。

だから、体を壊してまで働いては意味ないでしょう、と思う。
それより、体を壊さずに働ける場所や環境を探すべきだ、と思う。

のよ。

自分の居心地のいい場所を見つけるのは至難の業だから、自分にとって居心地の悪いところにしがみついていても、居心地のいい場所を探すのが遅れるだけだし。
といろいろな意味で思ってしまう訳よ。

ところでサウンドレリーフはとてもいいボートでした。住めるわここなら...。と思ってしまった。もう海で泳ぐのは今年最後かなあ。
気持ちのいい週末だった。

そして今日は911。4年前の今日もこんなにさわやかな天気だったね、と話してた。多分、911がなくて、アがずっと上り調子だったら、私たちはあわなかっただろうなあ。と思ってそういった。そうしたら「そうだなあ、あのままだったら今頃どこにいるかな...。」と考えた様子だった。「でも起きたことは起きたんだからさ」
私はきっとあまり変わんなかったろうけど、もう少し転職は楽だったろう。でもあの頃の方が幸せじゃなかったかな。このことを経験しなければ、NYが「痛みを分かち合った仲間」にはならなかったと思う。
だから私にとって大切な節目だったんだとは思う。NYが私のホームになる大切な出来事だったのかもしれない。

痛みや不幸というのは、できればさけたいものだけど、その出来事のおかげである人との関係やその環境との距離がグンと深まることがあるんだと思う。だから、不幸や災難はチャンスでもある、ということは今は理解できる。傷のままにしてほっておかずに、それをうまく自分の成長の糧として活用できるのならば。

平凡な言葉だけど、こういう言葉の意味って年取るとわかるね。

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