私はコミットメント恐怖症だ。
はっきりいおう。怖い。

それですべての混乱は説明はつく。解決はしないけど。
自分に責任がなくていごこちいい関係ならいくらでも欲しい。でもそこに何かの責任と言う二文字が見えるととたんに逃げ出したくなったり、相手を攻撃して何とか自分に心地いいスペースを保とうと躍起になる。

先日車の中でAにいつかは同居、結婚、子作りという言葉を聞いたときはうれしかったけど、一人になったらものすごく混乱している自分がいる。
いや、Aがそばにいるときは平気なんだけど、独りになるととたんに恐ろしくなる。Aがいなくなったらどうするんだ!という感じか・・。

多分、そういうことなのか。
そして私よりお年寄りのAはきっと私を残して一人で死んじゃう。きっとそうに決まっている。介護なんてやだ。子どもを抱えて私も中年を過ぎて今みたいにふあふあいきてたら、今にしっぺ返しが来る!どうするよ!しかも借金残されたりして!

・・・・・・・・とエンドレスに悪いことばかり頭に思い浮かぶ。

・・・・・・・病気ですか?

結婚する友人とか見て、なるほどーと思うけど、みんなよく踏み出せるなあー、といつも感心する。まあ私の相手のように極端に環境が違うとか、年齢が違うとか、国が違うとか、何から何までちがうとか、そういうのってあまりいないもんな。

・・・・・・・・自分の傾向を見ると、不安になるのも無理はないのだが。

なんかさー不安要素が多い人と付き合っていて、ストレスが余計に高まる。当たり前だよね。
元々ストレスに弱いのに、なぜストレス度が高い人と付き合うのか。

これも自分バッシングの名残ではないかとひそかに疑う。

ああ。

今日あったいいこと。

部屋が一個は見れたこと
えーーー。っとおおおお。
ヨガが気持ちよかったこと。
それとおお。
自分が怖いんだって事に気づいたってこと。
鮭の酒蒸し青梗菜はそこそこうまかった。
あ、月々10ドルの携帯電話サービスを見つけたこと。

もっと仕事して、「今日は仕事が少しはかどったこと」というのも付け加えられるといいな。

そうできるようにこれから仕事します。

あ、もうひとつ。

自分バッシングをやめて、きちんとシンパシーを感じられるようにする。人にばっかりシンパシーを感じてても何にもならないんだって。

そうそう、NYにきたときは一人で強く生きていたけど、それはあまりに自分が傷ついていて自分のことしか考えなかったからあんなに成長したんだ、と言うことにも気づいた。

人の事なんかかまっていられるようなラグジュアリーな状態じゃないと言うことともう少し真剣に考えよう。

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