ああ。
2005年5月3日 Recovery/回復昨日なんどかAと電話して、それでよかった。
昨日の昼に電話したとき「私はあなたと一緒にいればいるほどリスペクトされなくなっていく気がする」って言ったら「イエス」って言うから、「え?同意するの?」って聞いたら「うん。」と言うのですごく腹立ってそのことを友達に言いふらした。
最初は彼女達も「それなら別れなさいよ」みたいなことをいってたんだけど、これこれしかじかで実は親との過去のことを、実は親が私にしてきたことやほかの兄弟にしてきたことは、私のせいじゃないって事にやっと気づいて、責任を感じなくていいんだ、ってわかった時点で、そんなこともわかんなかった自分に思いっきり腹が立って、ちょうどそのときAがあほなことをしたから、そこに怒りが集中しちゃったようです、そしてAは「答えが出るまで待っているから、自分で決めていいから。僕は君と一緒にいたい」
と言うよ、と言ったら「彼氏とちゃんと話し合いなさい」と言われた。
でも昨日の夜の電話で、「先のリスペクトのことさーどうしてたけどどういうことよ」ってもう一回聞いてみたら(実は最初に同意された時点であまりにショックでその真意を問いただせなかった)、「同意なんかしてないよ」と言う。えーしたじゃんしてないしたしてないとリピート10回くらいして、「誰かと長く一緒にいると相手がいっつも一緒にいてくれるって甘えるってことに同意したんだ」と英語問題の話になった。
そういや”時々君はgood frame of mind (思考の構造がしっかりしてる、みたいな)がなくなってる”って言われて ”君はgood friend of mineを持ってない”って聞き違えた。え?いい友達じゃないって、私悪い友達なの?と聞いたらすごい笑って「時々聞き間違いがすごくてドラッグでもやってんじゃないかって思うよ」と言われた。
これはすごいおかしい。今でもおかしい。
今日はスギさんとさくらを見に行くはずが、日本スーパーで待ち合わせをしたら、私のスーパーのアドレスが、ストリート一本間違っており、結局会えなかった。そして、私はひとりで押し寿司と肉じゃがと日本茶を持ってセントラルパークへ行った。さくらの場所の手前にりんごの花見たいのと八重桜が咲いていたのでそこでご飯を食べ、寝転がって少し寝て、さくらのあるべき場所へ移動したけど、さくらはもうすでに緑の葉桜になっていた。
五月だもんねー。
でもその後八重桜の枝を二本手折って、Aに電話してこれから行くね、といってA宅にバスで向かった。でも途中でなんか怖くなってやっぱ帰ろうかな、と服屋に寄り道をしてみたりしたけど、結局バスを乗り換えて向かった。したらば後ろの席の黒人のオバサンに「その花どこで買ったの?」と聞かれたので木からとったと言うと、NYでは公共の花を取ると、罰金を取られるという話を聞かされた。
だから誰も花を取らないんだー。だから私のさくらを皆見てたんだー。知らなかった。
A宅に行ったらtotal gym が展開されてて、なぜか私はそれに付属のビデオを見ながらエクササイズをやらされた。それをAがカウチに座って私を眺めている、と言う風になってて、おかしいなーなんでこんなこと私はしているんだろう、と思ってふとAの顔を見ると、なんか私のこと遠い目で見てた。
平気そうな声で「君は自分の好きなように決めていいから」っていってたけど、やっぱり別れる可能性が強いってこと、わかってないわけじゃないんだ、と思ったらなんか苦しくなってきた。
私は、Aのこと親の代わりみたいに思ってしまっているところがある。私のことかまってくれて心配してくれてわかってくれてそばにいてくれて可愛がってくれるAの気持ちは自分にとってかけがえのないものだというか、手放しきれない思いがある。でも同時に、それを手に入れるためにいつまでもだめで弱くて幼くてできない自分でいたい、成長したくない、とがんばってしまう自分がでてきてしまう。
そしてそういう自分になると、自分で何かをすることが怖くなるし、少しでもAの気に障るかも、と思うことは自分で自制してしまうのだ。どこまでも彼の顔色をうかがってしまう。自分の意志がなくなってしまう。
そうなる自分が怖い。
そうなる自分はとても不健康な自分になってしまう。
そして、最終的にAを責めてしまうのである。
まあ私のようなケースは恋愛依存症の典型的なケースなのだけど。
わたしがAを好きなのは、私には育てて見守ってくれるはずの親が、気を使ってニーズを満たしてあげなければならない存在だったので、心理的には親がいない状態で育ってしまった。多分だからこそこんなにAの事が好きなんじゃないかと疑っている。
実際私の付き合ってきた相手はみな私がどこかで親のような愛情を受けている、と感じられる相手ばかりだった。でも実際、その「親のような愛情」と言うのは、本当の親の愛情は不健康で条件付だったから、「親のような愛情」事態が危険なのではないか、と疑ってしまう。
でも、自分の知らないものは知覚出来ない。本当の愛情なんて受けた事のない人間にはどんなものかよくわからない。
だからこそ、普通の愛情でも、もらえたと思うとそのために一生懸命自分を捻じ曲げてしまうのだ。
そんな自分に対して不信感を持っている。
自分のニーズを満たすためには、早いうちから親を遮断しなければならなかった。だから子供のころから自分が自分の親にならなければならなかった。
だから間違った思い込み、たとえば家庭内の悲劇は私のせいだ、とか、私がいなくなれば皆幸せになる、とか言うものは、自分の力ではどうしようもない恐怖や暴力や虐待を目の当たりにしながらも、逃げる事ができなかったから、せめて「自分のせいだ」とおもうことで何とか状況をコントロールしようとしていたせいだ。
その思い込みは徹底的に間違っていて、私が死のうが生きようが、親は今までしてきたことをこれからも続けていただろうし、姉達は病気になっていただろうし、私がいようがいまいが家庭の中のことは何一つ変わらなかったのだ。
子供と言うのは創造性が強いから、恐怖や危険な状況で育った場合自分で自分を縛るルールを作り上げて、少しでもすでにある恐怖をやわらげようと努力する。一生懸命ルールを作ってきた5歳や8歳や10歳の私はその時点で持つすべての知恵を使って自分を支えてきた。
ここ数日の落ち込みは、当時の私の恐怖や悲しみを大人の目で再体験している状態のせいだとおもう。もっと言えば、毎晩母親の殴られる音を聞きながら「神様私の命をあげるから、パパがママを殴るのをやめさせてください」と手に爪の跡が残るくらいに強くお祈りをしていた子供の私に対して感じる悲しみと同情の気持ちだ。そして私が大人になるまでこの悲しさを感じることができなかったことに対する悲しみの結果だ。
昨日の昼に電話したとき「私はあなたと一緒にいればいるほどリスペクトされなくなっていく気がする」って言ったら「イエス」って言うから、「え?同意するの?」って聞いたら「うん。」と言うのですごく腹立ってそのことを友達に言いふらした。
最初は彼女達も「それなら別れなさいよ」みたいなことをいってたんだけど、これこれしかじかで実は親との過去のことを、実は親が私にしてきたことやほかの兄弟にしてきたことは、私のせいじゃないって事にやっと気づいて、責任を感じなくていいんだ、ってわかった時点で、そんなこともわかんなかった自分に思いっきり腹が立って、ちょうどそのときAがあほなことをしたから、そこに怒りが集中しちゃったようです、そしてAは「答えが出るまで待っているから、自分で決めていいから。僕は君と一緒にいたい」
と言うよ、と言ったら「彼氏とちゃんと話し合いなさい」と言われた。
でも昨日の夜の電話で、「先のリスペクトのことさーどうしてたけどどういうことよ」ってもう一回聞いてみたら(実は最初に同意された時点であまりにショックでその真意を問いただせなかった)、「同意なんかしてないよ」と言う。えーしたじゃんしてないしたしてないとリピート10回くらいして、「誰かと長く一緒にいると相手がいっつも一緒にいてくれるって甘えるってことに同意したんだ」と英語問題の話になった。
そういや”時々君はgood frame of mind (思考の構造がしっかりしてる、みたいな)がなくなってる”って言われて ”君はgood friend of mineを持ってない”って聞き違えた。え?いい友達じゃないって、私悪い友達なの?と聞いたらすごい笑って「時々聞き間違いがすごくてドラッグでもやってんじゃないかって思うよ」と言われた。
これはすごいおかしい。今でもおかしい。
今日はスギさんとさくらを見に行くはずが、日本スーパーで待ち合わせをしたら、私のスーパーのアドレスが、ストリート一本間違っており、結局会えなかった。そして、私はひとりで押し寿司と肉じゃがと日本茶を持ってセントラルパークへ行った。さくらの場所の手前にりんごの花見たいのと八重桜が咲いていたのでそこでご飯を食べ、寝転がって少し寝て、さくらのあるべき場所へ移動したけど、さくらはもうすでに緑の葉桜になっていた。
五月だもんねー。
でもその後八重桜の枝を二本手折って、Aに電話してこれから行くね、といってA宅にバスで向かった。でも途中でなんか怖くなってやっぱ帰ろうかな、と服屋に寄り道をしてみたりしたけど、結局バスを乗り換えて向かった。したらば後ろの席の黒人のオバサンに「その花どこで買ったの?」と聞かれたので木からとったと言うと、NYでは公共の花を取ると、罰金を取られるという話を聞かされた。
だから誰も花を取らないんだー。だから私のさくらを皆見てたんだー。知らなかった。
A宅に行ったらtotal gym が展開されてて、なぜか私はそれに付属のビデオを見ながらエクササイズをやらされた。それをAがカウチに座って私を眺めている、と言う風になってて、おかしいなーなんでこんなこと私はしているんだろう、と思ってふとAの顔を見ると、なんか私のこと遠い目で見てた。
平気そうな声で「君は自分の好きなように決めていいから」っていってたけど、やっぱり別れる可能性が強いってこと、わかってないわけじゃないんだ、と思ったらなんか苦しくなってきた。
私は、Aのこと親の代わりみたいに思ってしまっているところがある。私のことかまってくれて心配してくれてわかってくれてそばにいてくれて可愛がってくれるAの気持ちは自分にとってかけがえのないものだというか、手放しきれない思いがある。でも同時に、それを手に入れるためにいつまでもだめで弱くて幼くてできない自分でいたい、成長したくない、とがんばってしまう自分がでてきてしまう。
そしてそういう自分になると、自分で何かをすることが怖くなるし、少しでもAの気に障るかも、と思うことは自分で自制してしまうのだ。どこまでも彼の顔色をうかがってしまう。自分の意志がなくなってしまう。
そうなる自分が怖い。
そうなる自分はとても不健康な自分になってしまう。
そして、最終的にAを責めてしまうのである。
まあ私のようなケースは恋愛依存症の典型的なケースなのだけど。
わたしがAを好きなのは、私には育てて見守ってくれるはずの親が、気を使ってニーズを満たしてあげなければならない存在だったので、心理的には親がいない状態で育ってしまった。多分だからこそこんなにAの事が好きなんじゃないかと疑っている。
実際私の付き合ってきた相手はみな私がどこかで親のような愛情を受けている、と感じられる相手ばかりだった。でも実際、その「親のような愛情」と言うのは、本当の親の愛情は不健康で条件付だったから、「親のような愛情」事態が危険なのではないか、と疑ってしまう。
でも、自分の知らないものは知覚出来ない。本当の愛情なんて受けた事のない人間にはどんなものかよくわからない。
だからこそ、普通の愛情でも、もらえたと思うとそのために一生懸命自分を捻じ曲げてしまうのだ。
そんな自分に対して不信感を持っている。
自分のニーズを満たすためには、早いうちから親を遮断しなければならなかった。だから子供のころから自分が自分の親にならなければならなかった。
だから間違った思い込み、たとえば家庭内の悲劇は私のせいだ、とか、私がいなくなれば皆幸せになる、とか言うものは、自分の力ではどうしようもない恐怖や暴力や虐待を目の当たりにしながらも、逃げる事ができなかったから、せめて「自分のせいだ」とおもうことで何とか状況をコントロールしようとしていたせいだ。
その思い込みは徹底的に間違っていて、私が死のうが生きようが、親は今までしてきたことをこれからも続けていただろうし、姉達は病気になっていただろうし、私がいようがいまいが家庭の中のことは何一つ変わらなかったのだ。
子供と言うのは創造性が強いから、恐怖や危険な状況で育った場合自分で自分を縛るルールを作り上げて、少しでもすでにある恐怖をやわらげようと努力する。一生懸命ルールを作ってきた5歳や8歳や10歳の私はその時点で持つすべての知恵を使って自分を支えてきた。
ここ数日の落ち込みは、当時の私の恐怖や悲しみを大人の目で再体験している状態のせいだとおもう。もっと言えば、毎晩母親の殴られる音を聞きながら「神様私の命をあげるから、パパがママを殴るのをやめさせてください」と手に爪の跡が残るくらいに強くお祈りをしていた子供の私に対して感じる悲しみと同情の気持ちだ。そして私が大人になるまでこの悲しさを感じることができなかったことに対する悲しみの結果だ。
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