選択中に
2005年3月8日いえ洗濯中です
ここのところ物忘れがひどくて困っている。まあそれほど致命的ではないからいいんだけど。
鍵は、店を閉めるときに、扉の内側に刺さったままドアを閉めてしまった事が原因だった。(ドアはオートロックなので勝手に鍵がかかる)ついでに、うちの店のドアはバズるか,鍵がないと内側からも外側からも開かない。でも鍵がなくてもしまる、というドアだからなのだ。
で、ぼんやりしてたら鍵を抜くのをさすれた。その後数時間、鍵を抜かなかったこともきずかず、うちに帰ったということ。翌日、この仕事を紹介してくれた元従業員の友達がかぎ持っているのをしってたので、彼に鍵を借りて出勤してみると、鍵は刺さってた。鍵が内側から刺さってる場合外から鍵は入るのかな????!!!とか心配したけど、杞憂だった。
その代わりアドレス帳を店においてきてしまった。
昨日のミーティングは恐ろしいところだった。80%が黒人系の男の人の数が圧倒的に多く、40過ぎの男性が10代の女の子と不倫している話などを聞かされて心の中で「ひいいいいいいいい!!!」と叫んでしまった。なんかチェックされているの、わかるし。その、「適度にきれいなら誰でもいい」って言うスタンダードの低さ、怖いんですけど・・・。
もう二度とあそこへは行かない。
その帰り、おいしいネパール系のカレーやさんを発見。
野菜カレー2種と肉カレー一種+ソーダで8ドル11セント!
すばらしい。しかも私ごのみで辛くない。
辛いカレーはやなんだよなー。
その後自宅でTV見てたら「タバスコおしおき」について言及していたニュースをみた。
「口答えしたり、汚い言葉を使ったりした場合、指にちょっとタバスコをつけて子供の口を触る」子供は辛くて痛いから、そういう言葉を使わなくなる。それについて心理学専門家は「虐待のボーダーラインですね」と語ってた。
「確かに子供のうちはそれで住むけど、なぜそういう言葉を使ってはいけないのかということはけして教えられることはないので大きくなって肉体的に反抗できるようになったときに、子供がどういう行動にでるか、微妙だ」というようなことをいってた。
つまり暴力でしつけられた子供は暴力で反撃する、というようなことなんだと思う。
ここのところアダルトチャイルドねたが続いているけど、アダルトチャイルドであることを認め、自分の心の仕組みが家族との関係で出来た過去の産物であることを認めることは第一歩なのだ。
でもそっから先は、自分の機能不全の心は自分のもので、その心を回復に近づけて自分の人生がより幸福なものに近づけるかどうかは個人の意思と判断による。自分の心が機能不全のままだから、といって親をせめる事には意味はない。回復へ近づくことをしない以上、そう決めたのは自分自身に他ならないからだ。
自分のスタート地点が人に比べて遅れている、と判断しそれを受け入れるのは時間がかかる。でもそれを受け入れて、このままではどうにもならない、ということを自覚し、このままではどうにもならないから、何とかしよう、と回復へ向かえるのは自分以外にいないのだ。
私は自分が回復に向かっているので、自分は偉い、と思うことはあまりない。むしろそう思えてたころのほうが、楽だな、と思う。回復に向かわず、常に誰かが私のことを”助けて”くれるような環境にいたらもっと楽でいいのにな、と思う。でもその自分でしなかった分のつけは、生きていればいつか必ず回ってくるし、生きていればそれを変えることも出来る。
完全には変えられない。機能不全の心は、過去が変わらないのと同様に、完全な回復はない。ただ、自分の思考パターンや心の構造を理解して、自分の知っている方法で少しでもいき易くするために学ぶことは、いくつになっても出来る。
そういう”よりよく生きていける可能性”を信じる事が、回復につながっていくのだと思える。それが希望と呼ぶものだと思う。
ここのところ物忘れがひどくて困っている。まあそれほど致命的ではないからいいんだけど。
鍵は、店を閉めるときに、扉の内側に刺さったままドアを閉めてしまった事が原因だった。(ドアはオートロックなので勝手に鍵がかかる)ついでに、うちの店のドアはバズるか,鍵がないと内側からも外側からも開かない。でも鍵がなくてもしまる、というドアだからなのだ。
で、ぼんやりしてたら鍵を抜くのをさすれた。その後数時間、鍵を抜かなかったこともきずかず、うちに帰ったということ。翌日、この仕事を紹介してくれた元従業員の友達がかぎ持っているのをしってたので、彼に鍵を借りて出勤してみると、鍵は刺さってた。鍵が内側から刺さってる場合外から鍵は入るのかな????!!!とか心配したけど、杞憂だった。
その代わりアドレス帳を店においてきてしまった。
昨日のミーティングは恐ろしいところだった。80%が黒人系の男の人の数が圧倒的に多く、40過ぎの男性が10代の女の子と不倫している話などを聞かされて心の中で「ひいいいいいいいい!!!」と叫んでしまった。なんかチェックされているの、わかるし。その、「適度にきれいなら誰でもいい」って言うスタンダードの低さ、怖いんですけど・・・。
もう二度とあそこへは行かない。
その帰り、おいしいネパール系のカレーやさんを発見。
野菜カレー2種と肉カレー一種+ソーダで8ドル11セント!
すばらしい。しかも私ごのみで辛くない。
辛いカレーはやなんだよなー。
その後自宅でTV見てたら「タバスコおしおき」について言及していたニュースをみた。
「口答えしたり、汚い言葉を使ったりした場合、指にちょっとタバスコをつけて子供の口を触る」子供は辛くて痛いから、そういう言葉を使わなくなる。それについて心理学専門家は「虐待のボーダーラインですね」と語ってた。
「確かに子供のうちはそれで住むけど、なぜそういう言葉を使ってはいけないのかということはけして教えられることはないので大きくなって肉体的に反抗できるようになったときに、子供がどういう行動にでるか、微妙だ」というようなことをいってた。
つまり暴力でしつけられた子供は暴力で反撃する、というようなことなんだと思う。
ここのところアダルトチャイルドねたが続いているけど、アダルトチャイルドであることを認め、自分の心の仕組みが家族との関係で出来た過去の産物であることを認めることは第一歩なのだ。
でもそっから先は、自分の機能不全の心は自分のもので、その心を回復に近づけて自分の人生がより幸福なものに近づけるかどうかは個人の意思と判断による。自分の心が機能不全のままだから、といって親をせめる事には意味はない。回復へ近づくことをしない以上、そう決めたのは自分自身に他ならないからだ。
自分のスタート地点が人に比べて遅れている、と判断しそれを受け入れるのは時間がかかる。でもそれを受け入れて、このままではどうにもならない、ということを自覚し、このままではどうにもならないから、何とかしよう、と回復へ向かえるのは自分以外にいないのだ。
私は自分が回復に向かっているので、自分は偉い、と思うことはあまりない。むしろそう思えてたころのほうが、楽だな、と思う。回復に向かわず、常に誰かが私のことを”助けて”くれるような環境にいたらもっと楽でいいのにな、と思う。でもその自分でしなかった分のつけは、生きていればいつか必ず回ってくるし、生きていればそれを変えることも出来る。
完全には変えられない。機能不全の心は、過去が変わらないのと同様に、完全な回復はない。ただ、自分の思考パターンや心の構造を理解して、自分の知っている方法で少しでもいき易くするために学ぶことは、いくつになっても出来る。
そういう”よりよく生きていける可能性”を信じる事が、回復につながっていくのだと思える。それが希望と呼ぶものだと思う。
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