相反するいくつもの気持ち
2005年1月20日・Aに必要なものをそろえてもらうために電話した。今夜会う。昨日すべてを話した後で、私達って今どこにいるんだろう?
と聞いたら、「僕は電話をもらう前の場所にいるよ。君はどこにいるの?」と聞かれた。
わからないのでわからない、と答えた。
巨大本屋ののトイレの前の公衆電話でする会話かいな、と同時に思った。
これからもこれまでのようにAとあっていいのだろうか、と疑問に思う。Aは「利用される」事が一番きらいだったはずだ。私は彼を利用しているのではないだろうか。でも私にもニーズがある。ニーズがあるなら正直に言って、相手がよいといえばやってもらえばいいのだ。そこに不必要な罪悪感を覚える必要はない。
「お金も貸してあげる、会社の名前も貸してあげる、でもその先に行くのは自分で行かなきゃ行けないよ」といわれた。だからエディターのポジション、まじめに応募することにした。
ノーギャラでもやろう。これはきっと後につながるはずだし。
Aの温かい、安定した愛情は、不安になるくらいうれしい。私は彼の与えてくれる、守られる約束がすごくうれしい。考えてみれば、私の家族の中では楽しみにしていた約束が守られることってあまりなかったな。私はつい、約束が守られないことが怖いので、わざと遅れたり、他の予定を入れておいたりしてしまう。今回の事だって、怒鳴ったりしないで、ゆっくり話せばよかった。でも今回のことは、自分にも怒鳴ったことだった。
私はあなたと結婚なんかしない。絶対しない。
相手に近くなると自分を失いそうで怖い。自分のニーズよりも相手のニーズを優先してしまう癖、完璧であろうとするために完璧でない部分を数え上げる癖、そのせいでストレスをためる癖、そして相手を責める癖、そういった誰よりも近い人との関係を壊していく自分の癖が怖い。この関係を壊してしまう自分自身の性格が怖い。
彼と近くなることが怖いのだ。幸せな時間が崩れていく光景を見るのは怖い。そうなるとは限らないけど、そうなるかもしれないリスクをとるのが怖い。半分友達みたいに、相手を当てにしないで、つかずはなれずの関係をもつ。
友達であれば安全なのだ。友達であれば相手のことを手放した状態で愛することができる。
自分の癖を見て、いつかこの癖が直ればいいとおもっている。いつか誰かとの関係を壊して、独りになることを怖がらない、そんな関係をつくれればいいと思う。
でも同時に今やらなくて何時やるんだ?とも思う。
いまやらなくていつやるんだ?
と聞いたら、「僕は電話をもらう前の場所にいるよ。君はどこにいるの?」と聞かれた。
わからないのでわからない、と答えた。
巨大本屋ののトイレの前の公衆電話でする会話かいな、と同時に思った。
これからもこれまでのようにAとあっていいのだろうか、と疑問に思う。Aは「利用される」事が一番きらいだったはずだ。私は彼を利用しているのではないだろうか。でも私にもニーズがある。ニーズがあるなら正直に言って、相手がよいといえばやってもらえばいいのだ。そこに不必要な罪悪感を覚える必要はない。
「お金も貸してあげる、会社の名前も貸してあげる、でもその先に行くのは自分で行かなきゃ行けないよ」といわれた。だからエディターのポジション、まじめに応募することにした。
ノーギャラでもやろう。これはきっと後につながるはずだし。
Aの温かい、安定した愛情は、不安になるくらいうれしい。私は彼の与えてくれる、守られる約束がすごくうれしい。考えてみれば、私の家族の中では楽しみにしていた約束が守られることってあまりなかったな。私はつい、約束が守られないことが怖いので、わざと遅れたり、他の予定を入れておいたりしてしまう。今回の事だって、怒鳴ったりしないで、ゆっくり話せばよかった。でも今回のことは、自分にも怒鳴ったことだった。
私はあなたと結婚なんかしない。絶対しない。
相手に近くなると自分を失いそうで怖い。自分のニーズよりも相手のニーズを優先してしまう癖、完璧であろうとするために完璧でない部分を数え上げる癖、そのせいでストレスをためる癖、そして相手を責める癖、そういった誰よりも近い人との関係を壊していく自分の癖が怖い。この関係を壊してしまう自分自身の性格が怖い。
彼と近くなることが怖いのだ。幸せな時間が崩れていく光景を見るのは怖い。そうなるとは限らないけど、そうなるかもしれないリスクをとるのが怖い。半分友達みたいに、相手を当てにしないで、つかずはなれずの関係をもつ。
友達であれば安全なのだ。友達であれば相手のことを手放した状態で愛することができる。
自分の癖を見て、いつかこの癖が直ればいいとおもっている。いつか誰かとの関係を壊して、独りになることを怖がらない、そんな関係をつくれればいいと思う。
でも同時に今やらなくて何時やるんだ?とも思う。
いまやらなくていつやるんだ?
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