徹底掃除

2004年12月16日
考えてみたら24日にはもうA宅入りしてそのままバイトをこなしながら26日出発。てことは、火、木土日はバイトだし、今度の金曜は編集するし、で、きっと掃除をする間なんてないかも、と思い、一発奮起。

しながらも実は捨てようと思ったバイブレータでマッサージしたりして。インターコースという本を昔買ったんだけど、それって超フェミ本だからおかずにしようと思って開いたけど、「ジャンヌダルクは女の衣服を着ることに抵抗し、それはなぜなら女という性は中からも外からも征服される性だからである」とか、そういう口調で延々とインターコースがいかに屈辱的であるかなどを説いた本・・・。さすがにばいぶも、胸骨の間のこったところをマッサージするくらいしかなかった。そんなことをしてて二時。床の掃除は出来たのが5時。そのままクリスマスカード牡蠣などにはいってしまって、さあミーティングに行くか・・・と積みあがった机や何かを横目に去ろうかな・・・と着替えまでして
「私に今必要なのはミーティングじゃない。整理用の引き出しだ。」
ということに気づき、隣のドラッグストアと向かいのステープルズへチェックをかけに行く。ドラッグストアには私のほしいものといえばアイロン台しかなく、買おうかどうしようか迷ったけど,「今わたしにひつようなのはひきだしだ!」と自己暗示をかけステープルズに。

私あのプラスチック系の家具って言うか大きらいなのね。でも重たい木製の引き出しとかは必要ないし、ちょうどいいのないしで仕方なく購入。カートに入れてかぐ売り場をチェックすると本棚がセールで$29・99だった・・・。このプラスチックの安物引き出しも同じ値段。
でもさすがに本棚、よかったわー買って。私基本的に引き出しってなにが入っているかわからなくなるからあまり好きじゃないの。棚って一目瞭然だからいいねえ。もう一個欲しいくらい。

でもまだまだ山済みになっている洋服が・・・。今度洋服のラックを買おう。ハンガーがかけられる奴。

本棚も引き出しもカートに載せて「向かいに住んでいるので」と断ってIDと引き換えにかーとごとアパートへ自己配達。

へこんだダンボールを本棚代わりにしていたあられもなさは一瞬にしてTV脇の本棚へ・・・。でも本がまだ窓際に勢ぞろいしているのはなぜだろう・・・。本なしでは生きられないのよねえ。
本をぜんぜん持っていない人ってよくわかんない。どうやっていきていけるのか。

今朝の夢は私がAに隠れて昔のインド彼に電話をしている夢だった。電話したら、うれしそうに答えてくれた彼の声は昔のまま優しくて愛情に満ち溢れていた。「子供何人できたのさ?」と聞いたら、「一人だよ、NYのアストリアに住んでいるよ。」と冗談ぽくいわれてわたしは「あ、それわたしのことだ」とうれしく思う、という妙な夢だった。

先日ふと思い出したのだが、
「私はインド彼ーに虐待されていたんだー。」
と始めて実感した。

虐待というのは精神的な虐待とか性的な虐待とかいろいろあって、無理に妊娠させられるとか、堕胎を強要されるとか、逆に出産を強要されるとか、殺すと脅されるとか、いろいろバリエーションがあるんだけど、私は相手がすごく子供を欲しがったので、生理が遅れたと報告したら
「あんたには悪いけど俺はすごくうれしい」(外人なので変な日本語なのだ)と笑顔をかみ締めながら言われたこととか、
堕胎の可能性をほのめかしたら、
「もし俺の子供を殺したら、俺があんたを殺す」
とまじでいわれたこととか、なんかそんなこと思い出した。

何でそんな人の事をあんなに(こんなに?)好きだったんだろう、と思ったけど、きっと私に初めて所属したという実感を持たせてくれたからなのではないかと今は思う。

そして今も私は潜在意識の中で彼と電話をする夢を見るくらい、つながっている。だからこそ、別れざるをえなかったと思う。彼が現実につながっていたらまさしく悪夢だ。

そしてそんなことをいわれたときの感覚というのはなんかボーーーっと無感覚になる感じだった。「えーーーーーーそうなんだーー・・・・・。」って何か自分を放棄したような感覚。

それってたぶん束縛というか、自分の人権を否定されたとき、そんな感じになるような気がする。愛情、と履き違える、みたいな。

自分の過去を思う。

病んだ人間は病んでいる人間にとらわれやすいのだ。
よくわからないけど自分から離れていくような感覚。それが妙に心地よかったりするのだ。つまり、自分が自分の責任下にいなくてもよくなったような。
選択する必要がなくなったような気楽さ。

きっとその一歩が虐待・支配される側への一歩になるんじゃないかと思う。

めんどくさくてもいちいち選んで、そしてそれに責任を取る、という事が大人になるということなのではないだろうか。

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