そうかも!

2004年10月1日
友人からのメッセージにはたとひざを打つ私。
昨日は久しぶりにA以外の人(ってスギさんだけど)と時間をすごし、なんだかいろいろ考えたりとかした。日本ってさー、恋人がいなくても仲のいい友達とかがいれば別にもうそれでいいような気がする。友達が恋人みたいな。友達との距離が近くなりやすいのかもね。

逆にこっちでそれはないなあ。やっぱカップル文化なせいなのか。まあその分、ステディの関係を経てきている人とかの話を聞くと内面的なことをお互いちゃんと勉強しあっている、というか。そういう気がする。

日本ってなんか男の人と女の人がぜんぜん違うとこ向いているような。元々そうなりがちだけど、あまり努力の甲斐が見られないような。特に男の子・・・??いや結婚している友達の話とかも聞くと、なんか、そうなのかーーーー。と思うことがある。

まあ別にそれって実は、一緒にいるけど自立しているってことなのかもね。お互いの顔がお互いに向いてなくてもオッケーよって言う関係はそれなりに楽だとは思う。あ、それが許されない関係って言うのは窒息しちゃうしねえ。

ああまた当たり障りのない一般的なことを書いてしまった。

10月になります。仕事来ません。収入ありません。毎日がマスンテのように何もしなくても今日という日の幸せを感じる、と言うわけにもいってません。自分の物欲、しかも必要でもないものを買おうとする物欲なんかを見ると、求めていた方向性と反対のことを行っている自分が見えてきて、おいおい、と思います。

昨日久しぶりに公開ではない日記を書いてみて、面白いなーと思ったのは、これが欲しいと知っているものは実は以前欲しいと思ってて持っていたもので、でも後になってそれは必要ないと分かったから捨てたものなのに、欲しいと思う事が癖になっているために、また欲しがっている。と言うのでした。

つまり今私が欲しいと思っているものは未知のものなのに、既知のものを得ていると言うことは、私はまた同じことを繰り返しているだけ。それは元々私が欲しいものではないと知っているのに。欲しがる自分の浅ましさよ。

いや、ムートンのハーフコートのことだけをいっているわけじゃなくて(含まれるけど)。

どこにもたどり着かない関係を欲したこと、持っていることに対して。

自分を罰しているわけではないけど。

私が旅に出たのは、もうこのままではやっていけないと思ったから。なんていうか、精神的エネルギーがもう枯れてしまう。これって子作りとかをするべきときですよって言うお知らせかなーとおもうこともあるのだけど。「あなたの時代は終わったのよ」的な。次世代に託しなさい的な。こういうこと考えると日本ばかおやじ連盟とおなじような考えになっていくので、潔しとはしないのだけど。いやそれなら金の続くまで体の続くまでいってみようじゃないの第3世界、と思ったのさ。

aとのスタートはなんだかわからないけど安らぐものだったし心ときめくものだった。でもお互いそういうの持続させる方法わかんないし。飽きっぽいし。わがままだし。

ね。

また昔やった関係みたいなことを繰り返している気がするの。

こうなると近々の問題は私の家具をどうするか。

またここに戻るんだなーーーーーー!!!!
やっぱ一緒に住んでいると、私の家具は「わたしのお家ーーーー!」っていう気持ちをかもし出してくれるの。

あああああー。お家を捨てるのはなあ。

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