前後するが

2004年3月20日
昨日のことを書こうと思ったけど、秘密日記にしました。

べてるの家、というところが出している本があって、その中には「もっともっととがんばらなくてもいい生き方」について書かれている本だと聞きました。
私も最近もっともっとってがんばんなくてもいいのかなあ、と思う事が多々あります。自助グループやジェンダーに関するセミナーを行く用になって、自分も何かできるかも・・・と思う瞬間が増えています。兄弟会でも若い人がいないので「これから若い人にどんどん譲っていけたらいいのになあ!って思ってたのにー」と半分冗談で言われたり、私も可愛がってくれる人に囲まれて成長し始めているな、と感じる事が多くて、ちょっと気持ちは揺れます。

でもね、私は日本人だから日本に帰ってくることはできるし、いつかは自分のために何人かで家を借りて時々休みに泊まれる場所をキープしていくとか、いろんなことを考えていはいるんだ。もちろんそういう活動は非営利になるけど、それぞれが自分の居場所や生き易いところを持つというのはとても大切だから、自分も自分のためにそんな場所をもてたらいいな、と思う。

なにいってんのかわかんないかもしれないけど。

NYから戻ってきたころと明らかに違うのは、自分が生きるために周りの人って大切だな、って実感していること。周りの人に認めてもらえる、受け入れてもらえるっていう状態がどんなに楽でここちいいことなのかってこと。まだまだ私は与えてもらうたい
ばかりだけど、時間をかけて成長していって与えることもできるようになるといいなと思うこと。実際、自分が正直なことを誠意を持って相手に伝えることで相手が楽になったりする場面ってこの半年間多かったから、もっともっと自分のことを知ることでいろんなことを理解したり、自分の考え方を丁寧にきちんと説明できるようになるといい。

今の自分の方向性はけして間違っていないし、自己中になることだって実際消して無駄ではなかったことを考えると、失うものも多いだろうけど、得るものも確実に増えてきている。またそのフィードバックの早さは、自分でも驚く事が多くて、驚くけど同時に納得できて、本当によかったと思う。

なにいってんだかわかんないかもしれないけど、日本に帰ってきたことを後悔したり、自分を責めたこともたくさんあったけど、こんなにいろんな人と知り合えて、いろんなことを知れて、帰ってきて本当によかったなって思う。

私はなんだか根無し草で、それはまだ根を下ろす場所がどこなのかわかってないからだと思うし、まだ根を下ろしたいと思える場所に出会ってないからかもしれない。もしかしたらこのままわからないままかもしれないし、以前はそれについてとても怖いと思ってたけど、今となったらそのおかげで大勢の人にあってきたし何よりも私は今でもここにいる。健康で。元気で。

健康でいることなんかは本当に毎日小さな奇跡が起きてここでこうしていられるんだと思う。きっと私のような人はそんな風にあちこち行くことで自分は守られているって感じたい人なんだと思う。まだまだ失うことに耐えられないものを持つことに、恐怖の度合いが大きいのだとも思う。こういう人は余り大きなものは望めないね、とは思うけど、それも自分の選択だからそれはそれでいいのだと思う。

失ったものは取り返せないけど、失ったものよりもより大切なものを得る事ができると信じている。信じていこうと思う。

私が新しく知り合いになっていった人たちがこの日記を読んでいる率はあまりないのだけど、それでも、以前から知っている人にも、ありがとうといいたい。

傷は癒されて恵みとなった という言葉はアラノンACの本のタイトルでもあるのだが、最初は何のことをいっているのかわからなかった。今はそれが理解できる。私は幸運にも乗り越えなければならない課題が原家族の中にあり、常に常に子供のころから私の目の前にあった。それを乗り越えるか、消化するかは自分の選択であり、そして今でもある。私は今でも乗り越えられない事が大半だし、自分の家族の中に自分ではどうしようもないことばかりでとても惨めだといつも思ってきた。でも、これだけいろいろあるのだから、この課題を乗り越えたら私は本当にあらゆる事が楽になるのだな、と今は思う。そして現にそういう現象がおきている。

私は自分の家族を愛している。親として至らない人ではあったかもしれないが、私のことを愛してくれた。守ってくれていた。人として弱い人たちではあったかもしれないけど、理解はできる。そう思えて、また、彼らが生きている間にそう思えて私はラッキーだったなと思う。

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