という前前日の日記を書いてみた。
2004年2月22日が、結構心の中の葛藤が大きい。やっぱり私にとっては大きな問題だし。まあ、きつい、と感じたらやはり削除する可能性もあるかもしれない。というのは、何だろう、この問題を明らかにすることで見えてくるさまざまな不安要因が自分にとって怖いからだと思う。姉を抱えた将来的なこととか。
私がアメリカに行きたい、あるいは外国人と付き合いだした、ということももしかしたら関係しているのかもしれない、とふと思う。以前のこの日記を通してあった人に「君は家族を背負っていきていくんだよ今の場所で」みたいな無神経な言葉を言われたことがある。そのとき、とてもいやだった。その人とは一切その後会うこともないし、会いたくもない。そんなことを人に言われる筋合いのないことだし。ただ自分でもそのことについてとてもストレスを感じていることは事実だ。
前の日記を書いて、とてもつらい気持ちが沸き起こっている。
その話を土日に遊んだ友人にした。彼女と知り合ったのは数年前で、NYでだが、行き来するようになったのはほんの数ヶ月前からだ。私は翌日とても情緒が不安定で電車で泣いたりしてたので、友人が話を聞いてくれてとても助かった。そしてうれしかった。
自分の中にはとても悲しみがたまっている、と思う。出すに出せない、泣くに泣けないような気持ちがずうっとあったんだなあ、と。だからNYに住みだした1−2年は悲しくで悲しくて、普通に地下鉄とかでよく泣いていた。当時住んでた部屋でもよく泣いた。とにかくあのころはよく泣いた。今思うと、家族から離れてやっと自分の感情に直接触れる事がで来たのかもしれない。
それに直面するのはとてもつらいことだった。そしてこれからまたNYに行けば同じような時期を通っていくと思う。でも、必要なんだ。私には助けがある。どのようにそれを求めればいいのかわかる。昔のように自分を傷つけるような行動を取ること、それはずいぶん回避されている。人々と会うことは楽しい。新しい人々と会うことで、可能性は開かれる、ということを強く感じる。
不安はあるけど、前に進むしかないのだから。
話は変わるが、今日の洋楽カラオケは楽しかった。tears in heavenやhotel californiaってなんて意味深な詩なんだろう。
NYかー。
うーん、大変そう。
行くことに決まったら自分としては楽になったけど、食べ物のまずさや、家賃の高さ、シェアの問題点や(主にシェアする人の当たり外れだけど)トイレの便座の尿だまりなど、具体的にいやな部分を思い出したりしている。
あーあ。
うーむ。
私がアメリカに行きたい、あるいは外国人と付き合いだした、ということももしかしたら関係しているのかもしれない、とふと思う。以前のこの日記を通してあった人に「君は家族を背負っていきていくんだよ今の場所で」みたいな無神経な言葉を言われたことがある。そのとき、とてもいやだった。その人とは一切その後会うこともないし、会いたくもない。そんなことを人に言われる筋合いのないことだし。ただ自分でもそのことについてとてもストレスを感じていることは事実だ。
前の日記を書いて、とてもつらい気持ちが沸き起こっている。
その話を土日に遊んだ友人にした。彼女と知り合ったのは数年前で、NYでだが、行き来するようになったのはほんの数ヶ月前からだ。私は翌日とても情緒が不安定で電車で泣いたりしてたので、友人が話を聞いてくれてとても助かった。そしてうれしかった。
自分の中にはとても悲しみがたまっている、と思う。出すに出せない、泣くに泣けないような気持ちがずうっとあったんだなあ、と。だからNYに住みだした1−2年は悲しくで悲しくて、普通に地下鉄とかでよく泣いていた。当時住んでた部屋でもよく泣いた。とにかくあのころはよく泣いた。今思うと、家族から離れてやっと自分の感情に直接触れる事がで来たのかもしれない。
それに直面するのはとてもつらいことだった。そしてこれからまたNYに行けば同じような時期を通っていくと思う。でも、必要なんだ。私には助けがある。どのようにそれを求めればいいのかわかる。昔のように自分を傷つけるような行動を取ること、それはずいぶん回避されている。人々と会うことは楽しい。新しい人々と会うことで、可能性は開かれる、ということを強く感じる。
不安はあるけど、前に進むしかないのだから。
話は変わるが、今日の洋楽カラオケは楽しかった。tears in heavenやhotel californiaってなんて意味深な詩なんだろう。
NYかー。
うーん、大変そう。
行くことに決まったら自分としては楽になったけど、食べ物のまずさや、家賃の高さ、シェアの問題点や(主にシェアする人の当たり外れだけど)トイレの便座の尿だまりなど、具体的にいやな部分を思い出したりしている。
あーあ。
うーむ。
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