この日は
2004年2月20日兄弟会に行ってきた。
うーん、何から話そうかな。
15年前、私の姉は統合失調症を発病した。正確には、その数年前から予兆はあったと思う。引きこもって家族や周囲の人間とトラブルを起こす姉に、みなは距離をとっていた。私も同じだった。しかし幸か不幸か、私と姉の部屋はふすま一枚を隔ててわかれてただけだった。私は大学受験期で、夜中にばたばた音を立てて何かしている姉にとてもストレスを感じてた。同時に美大受験の壁に当たって、過食と嘔吐が始まって、半年かかって栄養失調状態になり、無菌性髄膜炎になって一ヶ月絶対安静の状態になったりした。それでも何とか持ち直し、美術大学の短大にはいった。
その一年目に取った教職のための臨床心理学の時間、教科書に載っている病気の行動が、姉の行動と一致することに気づいた。病気は当時分裂病と呼ばれてた。
講師の先生に聞いて、病院につながる方法を聞いた。その後姉は病院でその病名を診断された。15年前だ。入退院を繰りかえし、薬の副作用で体の均衡をとることができなくなり、まっすぐ立ったり歩いたりできなくなった。それが怖くて本人が薬を飲まなくなり、病状の悪化などがあった。
とにかく、兄弟会とはそのような病気の兄弟が集まる会だった。初めて足を踏み込んで驚いたのはその年齢層の高さだった。多くの高年齢の人々は、両親が亡くなった後で病気の兄弟を直接間接的に世話をしている人だった。私もそのような立場になるのかと怖くなった。中には、兄弟3人のうち、自分以外の2人が病気になっている人、親が病気で、兄弟も発病した人などがいた。とても気の毒だった。
しかし出席したことで、この病気が新薬の発達により治癒の可能性があること、小康状態であれば社会生活が営めることなど知った。また、うちの姉の状態がそんなに悪い状態でないこともしった。
多くの会員の人はとても親身で、比較的若い(私は多分二番目くらいに若かった)の参加をとても歓迎してくれた。そして、私に今書いている文章を書くことを決意させてくれた。
私は長いこと、姉の病気のことを隠していた。遺伝の可能性の有無が明らかにされていないこと、しかし自分の中にも不安があること、本人のプライバシー(当事者は自分の病気が他人に知られることをとても恐れていた)、などである。何よりも、私は怖かった。自分もそうなるかもしれない、そういう思いが強かった。そしておそらく、失調症の患者に対して感じる周りの人間の恐怖は、それだと思う。「私も、そうなるかもしれない」
なぜなら精神のバランスを崩すことは、誰にでも可能性があることだからだ。
参加している会員の人に、そのことを言った。彼は「私はオープンにしているんです。そのことで今まで隠していた人、誰にも言えないと不安に思っていた人が家族会、兄弟会につながって正しい知識を得る事ができ、不用意におびえる必要がないからです。」
私が本人が知られたがらないことを伝えると「それは、世間の認識が誤っているからで、自分が統合失調症の兄弟を抱えている、といい、その病気自体は何も怖くなく、治癒も可能、適切なケアがあれば自立して生活することも可能、知能が遅れているわけではない、感情の起伏も薬でコントロールすることができるなどが知れ渡ることで、病気の偏見も消える。それが本人自身の病気であることの挫折感、無力感、絶望感を軽減することができるからです。ケアする人間、周囲の人間の精神状態が安定して健康であれば、当事者に対する無用な恐怖を拭い去る事ができれば、当事者にとってもよい影響があるのです。」
誰だって、知らない人間から奇異の目で見られたり、避けられたり、おびえられたりすればいやな気持ちがする。自己の評価は下がるし、それによってさらに精神状態が悪化する。なぜならこの病気は特に、その人の人格、性格によって万別だからだ。
私はもしもこの文章を読んで今まで私のようにかくさなければならないと思っていた病人を抱える家族の人が、一人でも多く正しい知識を持って行くことを願う。
私はいまだ一回目の例会に出ただけだけれど、自分が姉の病気のことでどんなに傷ついてきたか、また彼女のことをどんなに大切に思っているのかを再認識した。もちろんだからといって、自分の生活やこれからの生活を帰る気はないけれど、自分の中の自分の気持ちを発見する上でとても大きな一歩だった。
から、もしもこれを読んでいるあなたが、統合失調症の本人であったり、家族だったり、友人だったりしたときにはぜひ、適切な医療機関、相談機関、家族会、兄弟会に参加することをお勧めします。
うーん、何から話そうかな。
15年前、私の姉は統合失調症を発病した。正確には、その数年前から予兆はあったと思う。引きこもって家族や周囲の人間とトラブルを起こす姉に、みなは距離をとっていた。私も同じだった。しかし幸か不幸か、私と姉の部屋はふすま一枚を隔ててわかれてただけだった。私は大学受験期で、夜中にばたばた音を立てて何かしている姉にとてもストレスを感じてた。同時に美大受験の壁に当たって、過食と嘔吐が始まって、半年かかって栄養失調状態になり、無菌性髄膜炎になって一ヶ月絶対安静の状態になったりした。それでも何とか持ち直し、美術大学の短大にはいった。
その一年目に取った教職のための臨床心理学の時間、教科書に載っている病気の行動が、姉の行動と一致することに気づいた。病気は当時分裂病と呼ばれてた。
講師の先生に聞いて、病院につながる方法を聞いた。その後姉は病院でその病名を診断された。15年前だ。入退院を繰りかえし、薬の副作用で体の均衡をとることができなくなり、まっすぐ立ったり歩いたりできなくなった。それが怖くて本人が薬を飲まなくなり、病状の悪化などがあった。
とにかく、兄弟会とはそのような病気の兄弟が集まる会だった。初めて足を踏み込んで驚いたのはその年齢層の高さだった。多くの高年齢の人々は、両親が亡くなった後で病気の兄弟を直接間接的に世話をしている人だった。私もそのような立場になるのかと怖くなった。中には、兄弟3人のうち、自分以外の2人が病気になっている人、親が病気で、兄弟も発病した人などがいた。とても気の毒だった。
しかし出席したことで、この病気が新薬の発達により治癒の可能性があること、小康状態であれば社会生活が営めることなど知った。また、うちの姉の状態がそんなに悪い状態でないこともしった。
多くの会員の人はとても親身で、比較的若い(私は多分二番目くらいに若かった)の参加をとても歓迎してくれた。そして、私に今書いている文章を書くことを決意させてくれた。
私は長いこと、姉の病気のことを隠していた。遺伝の可能性の有無が明らかにされていないこと、しかし自分の中にも不安があること、本人のプライバシー(当事者は自分の病気が他人に知られることをとても恐れていた)、などである。何よりも、私は怖かった。自分もそうなるかもしれない、そういう思いが強かった。そしておそらく、失調症の患者に対して感じる周りの人間の恐怖は、それだと思う。「私も、そうなるかもしれない」
なぜなら精神のバランスを崩すことは、誰にでも可能性があることだからだ。
参加している会員の人に、そのことを言った。彼は「私はオープンにしているんです。そのことで今まで隠していた人、誰にも言えないと不安に思っていた人が家族会、兄弟会につながって正しい知識を得る事ができ、不用意におびえる必要がないからです。」
私が本人が知られたがらないことを伝えると「それは、世間の認識が誤っているからで、自分が統合失調症の兄弟を抱えている、といい、その病気自体は何も怖くなく、治癒も可能、適切なケアがあれば自立して生活することも可能、知能が遅れているわけではない、感情の起伏も薬でコントロールすることができるなどが知れ渡ることで、病気の偏見も消える。それが本人自身の病気であることの挫折感、無力感、絶望感を軽減することができるからです。ケアする人間、周囲の人間の精神状態が安定して健康であれば、当事者に対する無用な恐怖を拭い去る事ができれば、当事者にとってもよい影響があるのです。」
誰だって、知らない人間から奇異の目で見られたり、避けられたり、おびえられたりすればいやな気持ちがする。自己の評価は下がるし、それによってさらに精神状態が悪化する。なぜならこの病気は特に、その人の人格、性格によって万別だからだ。
私はもしもこの文章を読んで今まで私のようにかくさなければならないと思っていた病人を抱える家族の人が、一人でも多く正しい知識を持って行くことを願う。
私はいまだ一回目の例会に出ただけだけれど、自分が姉の病気のことでどんなに傷ついてきたか、また彼女のことをどんなに大切に思っているのかを再認識した。もちろんだからといって、自分の生活やこれからの生活を帰る気はないけれど、自分の中の自分の気持ちを発見する上でとても大きな一歩だった。
から、もしもこれを読んでいるあなたが、統合失調症の本人であったり、家族だったり、友人だったりしたときにはぜひ、適切な医療機関、相談機関、家族会、兄弟会に参加することをお勧めします。
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