怒涛のパーティー
2003年10月19日ゆうじんZULUが東京の外人コネクションの中心人物JW主催のギャラリーでのパーティーで踊るというので行く。
昨日の1.5日のおかげで(しかも面子の中心はZULU、Hラリーと同じ)ちょっとエネルギー枯渇気味だが行く。Zに「お前は来い!そこで男を見つけろ!」という叱咤激励をうけて。
話をした人だけでも、フランス人のピエール、森ビルのギャラリーでオープニングを終えたばかりのロンドンから来てたグラフィックデザイナーグループ(ちょっとしか話してないのに名刺をくれた。一人の日系ブラジル人の男の子は超可愛かった)、アイルランド人の癖にギリシャ人みたいな顔をした顔広のフランク、トライベッカにすむ日本人の写真家、アメリカ人の写真家、オランダを中心に活動する日本人の映像作家(この人からボーダーラインディスオーダーの元彼女の話を聞いた)、メリルリンチ勤務インド人、ボイスアクターのアメリカ人(この人のうちで3時間ほど寝かしてもらった)、書道家のエリック、可愛いハーフのDJケンジ、ナポリ出身イタリア人の女性鉄彫刻家、褐色の肌と水色の目のすっごいセクシーなイタリア語教師、歌舞伎町在住外人美術評論家 など。
Zへべれけになり、Hは先ほど出版された自署の舞踏の本を宣伝に駆けずり回り、私は夜中の12時を過ぎるまではまったくスイッチが入らなかったが、その後突然上記の人々と話すことになった。
ギャラリーはしまり、みながどこに行こうかと迷っている間に携帯の着信を見ると先に帰ったボイスアクターからお誘いが・・・といっても、「私は今すぐすごく眠い」といったら「僕のうちが近所だから来る?」という話をしてたのだ。SMパーティーに行く予定だったから、断って彼は先に帰ってたけど。
眠かったので、Zに別行動するー!と叫んでタクシー乗車。1Mでつく。素敵なマンションの中は、一人暮らしの男所帯・・・・に想像できる自宅兼オフィスだった。こういう飾り気のない男も結構きらいじゃない。しかしベッドが狭すぎる。
でもいい人だった。
お互いのこともろくに知らないまま、なんとなく勘でわかる人の良さ、踏み込まないでいる大人さはなかなか楽であった。
これからパーティーはちゃんと出席することにしよう。
宿題はできるところから片付けていこう。
*****************
土方巽の奥さんの元藤あき(火偏に華)子さんがけさおなくなりになったそうです。
アスベスト館でやった3月の若衆の日に始めてお目にかかりました。(って言っても遠くから)昨日倒れて今朝逝かれたとのことで、くいのない人生だったのではないでしょうか。
アスベストを生んで、アスベストの閉館・売却とともに人生を送ったということなのかな。
あそこで文字通り育った人は数知れないそうです。地方から「踊りたいのでお願いします」と家出して来た人が住みながら踊りを勉強していたそうです。役割として、ダンサーにとってのマザーテレサみたいな人だったんでしょうね。(激しい方だったそうですが)
ご冥福を、という言葉よりも、次の舞台へ、という感じでしょうか。
昨日の1.5日のおかげで(しかも面子の中心はZULU、Hラリーと同じ)ちょっとエネルギー枯渇気味だが行く。Zに「お前は来い!そこで男を見つけろ!」という叱咤激励をうけて。
話をした人だけでも、フランス人のピエール、森ビルのギャラリーでオープニングを終えたばかりのロンドンから来てたグラフィックデザイナーグループ(ちょっとしか話してないのに名刺をくれた。一人の日系ブラジル人の男の子は超可愛かった)、アイルランド人の癖にギリシャ人みたいな顔をした顔広のフランク、トライベッカにすむ日本人の写真家、アメリカ人の写真家、オランダを中心に活動する日本人の映像作家(この人からボーダーラインディスオーダーの元彼女の話を聞いた)、メリルリンチ勤務インド人、ボイスアクターのアメリカ人(この人のうちで3時間ほど寝かしてもらった)、書道家のエリック、可愛いハーフのDJケンジ、ナポリ出身イタリア人の女性鉄彫刻家、褐色の肌と水色の目のすっごいセクシーなイタリア語教師、歌舞伎町在住外人美術評論家 など。
Zへべれけになり、Hは先ほど出版された自署の舞踏の本を宣伝に駆けずり回り、私は夜中の12時を過ぎるまではまったくスイッチが入らなかったが、その後突然上記の人々と話すことになった。
ギャラリーはしまり、みながどこに行こうかと迷っている間に携帯の着信を見ると先に帰ったボイスアクターからお誘いが・・・といっても、「私は今すぐすごく眠い」といったら「僕のうちが近所だから来る?」という話をしてたのだ。SMパーティーに行く予定だったから、断って彼は先に帰ってたけど。
眠かったので、Zに別行動するー!と叫んでタクシー乗車。1Mでつく。素敵なマンションの中は、一人暮らしの男所帯・・・・に想像できる自宅兼オフィスだった。こういう飾り気のない男も結構きらいじゃない。しかしベッドが狭すぎる。
でもいい人だった。
お互いのこともろくに知らないまま、なんとなく勘でわかる人の良さ、踏み込まないでいる大人さはなかなか楽であった。
これからパーティーはちゃんと出席することにしよう。
宿題はできるところから片付けていこう。
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土方巽の奥さんの元藤あき(火偏に華)子さんがけさおなくなりになったそうです。
アスベスト館でやった3月の若衆の日に始めてお目にかかりました。(って言っても遠くから)昨日倒れて今朝逝かれたとのことで、くいのない人生だったのではないでしょうか。
アスベストを生んで、アスベストの閉館・売却とともに人生を送ったということなのかな。
あそこで文字通り育った人は数知れないそうです。地方から「踊りたいのでお願いします」と家出して来た人が住みながら踊りを勉強していたそうです。役割として、ダンサーにとってのマザーテレサみたいな人だったんでしょうね。(激しい方だったそうですが)
ご冥福を、という言葉よりも、次の舞台へ、という感じでしょうか。
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