さっき来た!

2003年9月20日
震度3の地震がそうだということを祈りつつ。

今日は雨降りで体も疲れ、まったりんこ。ぱんケーキなぞを作り、今もまた何やらわからぬスープを作る。

アクセルのかけ方がわからなくなる、かー。
年のせいかとも思ったのだが・・・。でもすごくよくわかる。ある意味NYも東京ににているっちゃー似ている。

大勢人がいるから人の思惑のなかで生きていかなくては・・・。まあどこでもそうか。

ただ、はっきりしているから。NYは。いらなかったら本気でいらない。首切り。カット。子供がいようがローンがあろうが、路頭に迷おうが、死のうが、かんけーないね。

ああいう環境で生きていると子供を持とうとか思えなくなる。Unless
1、すごい金持ち
2、組合とかに入っているような仕事してる。

組合があるって言うのはいわゆるスキルのない労働者だから。あ、カメラマンとかのユニオンは違うよ。

私の場合、日本=実家なので、よけいそうなのかもしれないが、にほんではあまり自分の力を使わなくても生きていけるってところがいい。打開するものとかも、なんだか遠くておもい。
ていうか、居候しているのに、文句多すぎ、か。

年相応、とか安定、とか、すごく感じる。安定のために屍になった臭い中年のおじさん(年齢は私よりも若かったりする)とかがうようよして、まーあくらやみじゃないかしらー?

ところでカラオケに行きませんか?
行きたい人、かいちゅうBBSに集まりましょう。

http://8152.teacup.com/kaityu/bbs

いまんとこ関東在住、て感じだけど。

しかしおいらもアクセルを吹かさなくなって久しい。アクセルは、冷静になると周りが見えてしまって、「お、アクセル踏んでるよ自分」とか、「いい年こいてさあ、」とか「あ、あの人こっちを見ている」とかほんっとにどーーーーーーーーーでもいい事が気になってくる。

どうでもいい事が気になってくるのは、エネルギーが足りない証拠。

でもやっぱ、行ったほうがいいのかな、NY.

先日ぼうっと鏡の前で考え事をしていたら「わたしはNY にいたくなかったから出たんだ。」とめからうろこ。

まあそれならここにいればいいじゃんか、といいたくもなるのだが。

よくわからん。
考えるよ。

しんでも安定してたい!という人の病気は過労死だとおもうが、私は絶対に過労死とかしないタイプとはいえても、過労死予備くんたちの行動の意図はわかる。

「毎日が無意識のうちに過ぎていってしまえば・・・・。」そんな人の内心は生きたいのではなく、死にたいのだとおもう。

仕事で自分を殺したまま右といわれれば右、左といわれれば左、自分の頭は薄くなり、仕事に解放されれば酒を飲んでほろ酔い、あるいは泥酔したまま眠る。

一週間は一月に、一月は一年に。

死んだように生きる。

それは心ないまま、安らかなるままに流されて、早く彼岸にたどり着きたいと。そんな心境か。

毎日のように聞く、「人身事故発生のため電車が遅れて・・・」たいてい夜。たいてい、仕事の後。

死んだように生きるのもひとつだが、ほんとに死ぬ前に、自分を楽しくする毎日を送ってみるのもいいのではないだろうか。

人は財布の中にある金で、意外と遠くまでいけるものだ。

とはいえ、死んでいく人たちはきっと自分を楽しくする事が何なのか、もうわからなくなって知るのかもしれない。

死ぬために生きてきたわけではなかろうに。

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